俵ヶ浦半島の魅力発信!!|チーム俵

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March 31 2020

まちづくりの強力なサポーター!地域おこし協力隊・久米川泰伸さんに聞く、俵ヶ浦半島でのこれから。

まちづくりの強力なサポーター!地域おこし協力隊・久米川泰伸さんに聞く、俵ヶ浦半島でのこれから
平成28年に誕生した、俵ヶ浦半島のまちづくりを担う「チーム俵」。地元在住の若手が中心となり、住民の皆さんの想いや目指すべき地域のビジョンをまとめた俵ヶ浦半島未来計画をもとにまちづくりに取り組んできました。さまざまな取り組みを続けていますが、解決すべき地域の課題は多岐に渡ります。

佐世保市役所やまちづくりプロデューサーなど、外部の専門家のサポートもありますが、将来的に移住希望者をの受け入れを目指す中で、移住者の視点をもって一緒にまちづくりに取り組んでもらえる人が必要でした。

そこで、平成29年度に佐世保市役所が「地域おこし協力隊」を募集。京都出身の久米川泰伸さんの就任が決まり、これまで一緒にまちづくりに取り組んできました。令和1年度をもって地域おこし協力隊としての役割を卒業する久米川さんに、これまでの俵ヶ浦半島での活動と、これからの展望について話を伺いました。

・・・俵ヶ浦半島の地域おこし協力隊・久米川泰伸さんに「半島キッチン ツッテホッテ」にて話を伺いました。

 

■俵ヶ浦半島ならではの暮らしを感じる風景がお気に入り

「道を走っていて海が見え始めたとき、帰ってきたなぁとどこか懐かしく思わせるところが海の風景にはあって。漠然と海の近くに住みたいなと思っていました。」

ラフティングや登山など、アウトドアが趣味という久米川さんは、京都でゲストハウスを起業・経営するかたわら海の近くへの移住を考えていました。移住先での仕事も合わせて探すうちに、佐世保市俵ヶ浦半島で地域おこし協力隊を募集していることを知ります。

俵ヶ浦半島のホームページでまちづくりの情報も調べていく中で、自然環境を生かしたまちづくりを地域が一丸となって進めている姿がとても魅力的に映ったそう。そうして応募した結果、採用が決定。平成29年7月に俵ヶ浦半島にやってきました。

まず俵ヶ浦半島の風景に心を打たれたとのこと。九十九島の壮大な風景はもちろん、特にお気に入りの風景は、作物が育つ段々畑の先に海が見下ろせる半島ならではの風景。作られた展望台からの眺めではなく、長年にわたり培ってきた暮らしが感じられる風景に特に魅かれ、今でも時折バイクを走らせ眺めに行っているそうです。

・・・俵ヶ浦半島の生業の風景。(Photo / Koichiro Fujimoto)

 

■チーム俵と一緒に手探りで進めた俵ヶ浦半島のまちづくり

・・・チーム俵で半島キッチン ツッテホッテ店長の中里竜也さんと。

着任後はさまざまなプロジェクトをサポートしてきた久米川さん。歳の近いチーム俵の部長たちや地域の皆さんともすぐにうちとけ、しめ縄づくりなどの地元行事にも声がかかります。

久米川さんの印象に残っているプロジェクトは、展海峰のウォーキングイベント。当日はスタッフとして、参加者のおもてなしや見守りなど、チーム俵のメンバーと一緒に運営に携わりました。

・・・ウォーキングイベントで先頭の旗持ちを行う久米川さん。

「ウォーキングイベントは昔から続いてきたイベントで、俵ヶ浦半島の4町が一つになるイベントですよね。地域の皆さんも思い入れが違うし、みんなも積極的。形が変わったとしても、4町の皆さんが集えるものがあると良いですよね。」
と久米川さん。

逆にうまくいかなかったところは、空き家問題とのこと。久米川さん自身も協力隊就任後は俵ヶ浦半島に住みながら活動することを望んでいましたが、すぐに住める物件がなく、佐世保市中心部に家を借り、半島に通いながら活動を続けてきました。

市街化調整区域でもある俵ヶ浦半島は、自然環境や営農環境を守るため建築などが制限されています。俵ヶ浦半島特有の美しい自然環境の保全にもつながっているのですが、人口減少や空き家問題、移住者の受け入れという視点では大きなハードルにもなっています。

久米川さんは空き家調査をしたり、市役所の担当部署と相談して空き家活用の可能性を探ったり、移住希望者に対して俵ヶ浦半島を案内してきましたが、移住者を受け入れるには至らず、思うような結果を残すことができなかったと振り返ります。

 

・・・俵ヶ浦半島を訪れた方々に半島の魅力を案内。

・・・地域の皆さんに会った時、話題はプロジェクトの状況報告に。

 

■俵ヶ浦半島の暮らしを伝える農家民宿の開業を目指して

地域おこし協力隊の任期満了まであと半年となった令和1年の夏、チーム俵の理事で農家の山口昭正さんが、自身が所有する空き家を活用して、半島に来る人達がくつろげて、地域のみんなとも交流できる“たまり場”を作りたいと発案します。この計画に久米川さんも参画。地元京都でゲストハウスを経営されている久米川さんは、俵ヶ浦半島にも拠点を作りたいと考えており、2人を中心に農家民宿の整備に向けて動き始めました。

農業体験や漁業体験を通して地域の人と触れ合うことを目的としている農家民宿は、現在俵ヶ浦半島で進行している様々なプロジェクトも生かすことができ、移住希望者が一時的に滞在して俵ヶ浦半島の暮らしを体験する場所としても使うことができます。停滞している移住者受入の突破口としても期待できます。

山口さんの空き家は築年数も古く、家主が不在となってから数年経っており、老朽化や雨漏りなども見られます。改修予算はないため、DIYによる改修からスタート。久米川さんが県内の地域おこし協力隊に呼びかけ、古民家DIYワークショップも開催しました。地元の大工さんも余った資材を持って駆けつけ、地域の皆さんの協力のもと、現在も空き家改修が継続中です。

・・・古民家DIYワークショップでは、久米川さんの呼びかけにより集まった他地域の地域おこし協力隊の皆さんが活躍。

久米川さんは、この土地ならではの暮らしや、暮らしの中で培われた知恵も俵ヶ浦半島の魅力であり、そのことを農家民宿で伝えられたら、と話します。それには、協力隊の研修で訪れた対馬の農家民宿での体験が大きかったとのこと。

「対馬の農家民宿は、農家のおばあちゃん一人で切り盛りしているんですが、何か飾ったものがあるわけではないんですよね。ただ、そこでご飯振る舞ってもらって、話をして、お酒を飲んで寝ただけなのに、とても満たされた気持ちだったんです。実家に帰った時のような、何も遠慮のいらない場所になって。どこか気持ちの奥で、そのような場所を求めていたのかもしれません。」

「俵ヶ浦半島で始める農家民宿も、遊漁船やハーブ、トレイルなどと同じように、俵ヶ浦半島の暮らしを一緒に感じてもらえる場にしたいですね。半島には暮らしやその土地の魅力を伝えられるものがたくさんあるので、眺めるだけでは見えない風景を僕らの生活を通して見てもらえたらと思っています。」

農家民宿は2020年度のオープンを目指して計画・改修中です。Facebookでもその模様をお届けしています。今後の展開にもぜひご期待ください。

・・・農家民宿を計画している古民家にて、久米川さんと山口昭正さん。

March 30 2020

俵ヶ浦半島の新たな特産品を作ろう!「俵ヶ浦半島ハーブプロジェクト」

俵ヶ浦半島の新たな特産品を作ろう!俵ヶ浦半島ハーブプロジェクト

Photo / Koichiro Fujimoto

 
■ 俵ヶ浦半島が培ってきた生業の風景を守りたい

半農半漁の暮らしが続けられてきた俵ヶ浦半島。その美しさの1つに、住民が手をかけてきた畑や田んぼの風景があります。日当たりの良い斜面地に石垣を組んで作られた昔ながらの小さな畑は、鉄分の多い赤土の土壌で、イモやタマネギなどの根菜類、キャベツや白菜といった葉物、蜜柑やビワなどの果実が、四季折々に豊かな実りの風景を見せてくれます。

一方で、重機を導入した大規模な農業ができないため農家の苦労は多く、なかなか後継者がいないのが現状です。若い世代は街に勤めに出る人が多くなり、あちらこちらで耕作されなくなった田んぼや畑が増えてきました。

手入れされなくなった耕作地はすぐに荒れてしまいます。俵ヶ浦半島の魅力である美しい生業の風景を守ることはもちろん、半島の活性化にも、地域の農産物の活用は欠かせません。

そこで、「俵ヶ浦半島農産物生産者意見交換会」を開催。俵ヶ浦半島の農業の現状や、今後生産を続けていくための課題、農産品の活用アイデアなどを、生産者が集まって話し合いました。

生産者意見交換会では、半島の農業に対して活発な意見交換が。

 

俵ヶ浦半島では、個人で少量・多品種の農産物を生産されている方が多く、ほとんどが家庭用や、直売所などを通じて販売している状況です。個人生産のため、生産力や栽培に関する知識不足、販売先や利益の確保も課題でした。

中でも、近年特に問題となっているのは、生産者の高齢化。高齢化により畑の手入れが十分にできずにいると、生産力自体が落ちてしまいます。また、キャベツや芋類などのいわゆる「重量野菜」は高齢者には肉体的負担も大きく、出荷用の農産物の生産を徐々にやめてしまっているのだそうです。

そこで挙がったのが、重量野菜から軽量野菜への転換です。合わせて、農産物を生かした加工品づくりや半島野菜のブランド化の可能性についても話題となり、特にアイデアとして挙がったハーブの栽培に関心が集まりました。

 

■ 「俵ヶ浦半島ハーブプロジェクト」の始動

意見交換会では様々なアイデアが挙がりましたが、続けていくためには生産者が無理なく楽しくできることが重要です。そこで、意見交換会で特に盛り上がったハーブの栽培について、「俵ヶ浦半島ハーブプロジェクト」と銘打ち、実験的に動き出すことになりました。

早速専門家を招いて「俵ヶ浦半島ハーブプロジェクト」のスタートアップミーティングを開催。勉強会を通じて生産者のやる気を後押しし、ハーブ栽培のその先を具体的にイメージすることが狙いです。

地元にはハーブの栽培に関するノウハウがなかったので、様々な専門家のネットワークを持つ(株)SAGOJOの石田奈津子さんに協力いただき、ハーブアーティストのKANAMEさんと出張料理人の志田浩一さんを招き、本格的なハーブ料理を味わいながら、ハーブの栽培育成・食の活用・商品化など、知識と興味を深めてもらいました。

出張料理人の手によるハーブを使った料理が多数並び、イメージを膨らませる参加者の皆さん。

 

KANAMEさんからは様々なハーブの種類や効能、栽培や活用の方法について話していただきましたが、なかでも生産者の関心を集めたのは、日本在来品種である和薄荷(ニホンハッカ)。圧倒的なメントール含有量を持つ個性的なミントですが、現在は岡山県や北海道の一部でしか栽培されておらず、とても希少な品種になっているそう。その和薄荷を俵ヶ浦半島で栽培することでブランド化にもつながるのではないか、と。

この日まではハーブ栽培に漠然としたイメージしか抱いていなかった生産者の皆さんでしたが、専門家の話を聞き、料理を味わい、ハーブの可能性を知るにつれて次第に前向きになっていく姿がありました。

 

■ 俵ヶ浦半島産ハーブの生産に向けて、試行錯誤の連続

スタートアップミーティングの翌日には、旧野崎中学校の花壇でKANAMEさんによるハーブ苗の植え付けと育て方の実習が行われました。期待の高かった和薄荷の苗も仕入れ、合計で14軒の生産者により、9箇所の畑で試験栽培の植え付けを行いました。

その後、植え付けした和薄荷の生育状況に合わせ、収穫・乾燥方法に関する講習会を開催。和薄荷としてブランド化して販売するためには、品質の確保が重要となります。栽培は容易な品種ではありますが、無農薬栽培はもちろん、有機肥料の使用量などにも注意が必要です。

香りが重要な和薄荷は、収穫にも注意しなければなりません。刺激を与えないように、葉についた土を落とす洗浄作業や梱包など、皆さんが共通して行うルールづくりも必要となります。

ハーブアーティストのKANAMEさん(写真右)からハーブの植え方を学びます。

乾燥させた和薄荷を使ったハーブティなど、商品化の可能性についてのレクチャーも。

 

プロジェクト会議では参加者から、
「品質を求めていかないと残っていかない。みんなで勉強して力をつけていかないと。」、
「販売の時は、地域性やこの取り組みのストーリーも伝えられたら。」、
「出荷の時に俵ヶ浦半島のことを伝えるパンフレットなども同封しては?」
と、様々な意見が交わされます。

ハーブプロジェクトのリーダーで農家の山口昭正さんは、
「和薄荷はあまり手をかけなくてもできるけど、地域の皆さんで品質を揃えていくのは難しいところもあります。ブランド化するには丁寧に扱わないといけないし、連携や分担の方法も検討していかないといかないですね。」
と、製品化・ブランド化に向けて考えを巡らせます。

 

■ 俵ヶ浦半島産ハーブのブランド化と安定的な生産・出荷を目指して

和薄荷生産と並行して、販路開拓に向けたモニター調査も実施しています。「展海峰コスモスウォーク」では、休憩ポイントで乾燥させた和薄荷を使用したハーブティを試飲提供。

また、大阪のレストランにも試験的に購入していただき、和薄荷を使用した料理やデザートとして提供されました。地域の食材に着目したレストランで、和薄荷だけでなく、俵ヶ浦半島の他の食材の活用も検討したいという評価をいただき、今後のさらなる展開が期待できる結果に。

和薄荷を活用した商品開発に向けて勉強会を開催。

スタートアップミーティングから1年、生産者もこれらの評価に気持ちを後押しされ、新たな地域のメンバーも増えてきました。「ハーブの栽培だけでなく、和薄荷のハーブティの商品化もやりたい!」と意欲的。これから、フレッシュでの出荷や、乾燥させてハーブティとしての商品化を目指して取り組んでいきたいと思います。

March 27 2020

俵ヶ浦半島で培われてきたまちづくりの歴史

俵ヶ浦半島で培われてきたまちづくりの歴史。
一般社団法人チーム俵が中心となって取り組んでいる俵ヶ浦半島活性化プロジェクト。平成28年度に俵ヶ浦半島未来計画をつくってから、さまざまな課題を目の前に、地域の方々と一緒に試行錯誤しながら活動しています。

この俵ヶ浦半島のまちづくりはいまに始まったことではありません。俵ヶ浦半島未来計画づくりのきっかけにもなった俵ヶ浦半島トレイル、さらに前には半島地域を盛り上げようと始まったウォーキングイベント、そして半島キッチン ツッテホッテの前身である展海峰ふれあい工房の立ち上げ、地域の課題に関する行政への要望活動など、俵ヶ浦半島の町内会のみんなが俵ヶ浦半島開発協議会を組織し、一丸となって取り組んできました。

今回、俵ヶ浦半島開発協議会で長年会長を務められ、現在は一般社団法人チーム俵の代表理事でもある尾﨑嘉弘さんに、これまでの俵ヶ浦半島のまちづくりについて話を伺いました。

これまで長きに渡り俵ヶ浦半島のまちづくりを支えてきた尾﨑嘉弘さん。

 

■俵ヶ浦半島の生活環境の向上を目指して、俵ヶ浦半島開発協議会を立ち上げ。

今年76歳となる尾﨑さんは生まれも育ちも下船越町。昔の俵ヶ浦半島は今のように車が十分に通れる道路があるわけではなく、ほとんど農道と似たような状況だったそうです。下船越町にはかつて炭鉱があり、長屋も建ち並んで多くの人が住んでいたそうですが、閉山後は人口減少が続きます。他の3町も農業や漁業などの生業を中心とした集落で、その当時は半島一帯でまちづくりを、という雰囲気はまだなかったそうです。

きっかけは、野崎町に整備されることになった障害者福祉施設「長崎県立コロニー」です(コロニーは民営化によりつくも苑となり、その後閉所。現在、跡地は観光公園の整備が進む)。当時、半島には上水道は整備されておらず、井戸水を汲んで暮らしていました。生活に欠かせない道路や水道といった社会インフラが十分に整っていないなか、俵ヶ浦半島の町内会が集まり、昭和46年に「俵ヶ浦半島開発協議会」を結成。住民の意見を吸い上げ、行政に陳情・要望を行う活動が始まりました。そのような活動の成果もあり、県立コロニーの建設をきっかけに半島内にも上水道が整備されることになったのです。

現在も俵ヶ浦半島開発協議会は要望活動などを継続。チーム俵とも月に1回のネットワーク会議を行い、半島内の意見調整などを担っています。

俵ヶ浦半島開発協議会の4町内会長とチーム俵で情報共有を行うネットワーク会議を毎月開催。

 

■地域の活性化に向け、展海峰ふれあい工房がオープン。

半島のまちづくりを語る上で欠かせないのが「展海峰ふれあい工房」。半島キッチンツッテホッテの前身となる場所です。平成11年頃から、庵浦町では折り紙陶芸(粘土と和紙を積層にして出来た陶芸紙を、折り紙のように折って造形し、焼成する焼物)を作る活動が始まっていました。元々は庵浦町公民館が中心となり取り組まれていましたが、俵ヶ浦町にも適した粘土があり、地元の特産品のひとつとして売り出してはどうか、という機運が高まります。

俵ヶ浦半島開発協議会では、展海峰を管理する佐世保市と交渉、平成13年に展海峰の一角に「展海峰ふれあい工房」をオープンします。陶芸紙の製造や折り紙陶芸の作品の販売だけでなく、地域の生産者が野菜や漬物などを販売する店舗として運営を始めることになりました。そして、年に数回しか集まることがなかった協議会も、当時の会長を中心に、半島を盛り上げよう、と声をかけてふれあい工房に集まるようになったそうです。

俵ヶ浦開発協議会の皆さんの手で運営されていた「展海峰ふれあい工房」。

 

■地域の親睦会から始まったウォーキングイベントは、半島の魅力発信の場へ。

展海峰ふれあい工房は、各町内会の皆さんが交代で店番に立たれていましたが、十分な売り上げを確保するのは難しかったとのこと。そこで協議会では、展海峰の名物となっていた「菜の花」「コスモス」にちなんで、「展海峰菜の花ウォーク」と「展海峰コスモスウォーク」のイベントを開催。各町内会からおでんや焼きそば、押し寿司などのお店を出店し、その売上の一部をふれあい工房の運営資金に充てるようにしました。

平成14年に始まったウォーキングイベントですが、当初はあくまで半島4町内会の親睦会として開催したそうです。しかし、俵ヶ浦半島の美しい風景を味わえるウォーキングコースは人気で、次第に話題を呼び、佐世保市のフリーペーパー「ライフさせぼ」に紹介されたり、周辺の町内会にもチラシを配るなど、俵ヶ浦半島の名物イベントとして広がっていきました。

展海峰菜の花ウォークの開会式で挨拶される尾﨑さん(当時俵ヶ浦半島開発協議会会長)。

 

その後、つくも苑の移転問題が浮上。つくも苑に勤めている地域住民も多く、半島内の働き場所の喪失にも繋がってしまうため、協議会は現地建替に向けて幾度となく話し合いや要望活動を行ってきました。残念ながらそれは叶いませんでしたが、跡地には現在観光公園の整備が行われており、新たな賑わいの場として期待されます。

平成25年からは各町での俵ヶ浦半島トレイルづくり、平成28年は俵ヶ浦半島未来計画策定、そして若手メンバーが中心となったチーム俵の新しい取り組みへと繋がっていくことになります。

「トレイルの案内標識づくりや計画づくりのワークショップとか、ああいう話し合いはしたことなかったですし、みんなも楽しいと言いよったですね。ただ、計画を作るのは良くても実行はなかなか(難しい)。チーム俵の若手が頑張ってくれているので、成果が出るのが待ち遠しいですね。なにしろ(チーム俵の)部長たちにはもう少し頑張ってもらわんと。まぁ、いっぺんには何事もうまく行かんので、ボチボチ続けていくことが大事ですもんね。」
と尾﨑さん。

俵ヶ浦半島開発協議会が立ち上がって約50年、尾﨑さんが協議会の会長を務めたのはそのうち10年!チーム俵はやっと3年目を迎えます。課題はたくさんありますが、尾﨑さんが言うように、息の長い取り組みを目指して俵ヶ浦半島のまちづくりに取り組んでいきたいと思います!

March 24 2020

「高千穂ムラたび」代表・飯干淳志さんが、「チーム俵」部長たちに問う、「半島の未来に必要なこと」

「高千穂ムラたび」代表・飯干淳志さんが、「チーム俵」部長たちに問う、「半島の未来に必要なこと」
2016年度より、官民連携で取り組んできた俵ヶ浦半島の活性化プロジェクトでは、住民参加型のワークショップなどを経て策定された半島未来計画のもと、一般社団法人チーム俵のメンバーが中心となり、さまざまな取り組みを続けてきました。「半島Meets…」の最終回となる今回は、以前にチーム俵が視察に訪れたこともある宮崎県高千穂町の限界集落「秋元」を拠点に、「民宿まろうど」「まろうど酒造」「ムラたび農園」の3つの事業を軸にコミュニティビジネスに携わる「高千穂ムラたび」代表・飯干淳志さんをインタビュアーに迎え、これまでの活動を振り返り、改めて半島の未来について考えるために、チーム俵の4名の部長、山口昭正さん、森宗幸彦さん、中里竜也さん、山田信一郎さんが集まりました。

Q. 俵ヶ浦半島では2016年に半島未来計画を策定し、その実行組織として「チーム俵」が立ち上げられたと聞いています。計画というのは実行に移す過程でうまくいかないこともたくさん出てきますし、その中で色々な気付きもあったかと思いますが、まずはそれぞれがここまでの活動を振り返って感じていることを聞かせてもらえますか?

右奥が今回インタビュアーを務めてくれた「高千穂ムラたび」代表の飯干敦志さん。

山口:僕はチーム俵「トレイル部」の部長として、トレイルコースの整備のために県道の草刈りをしたり、ウォーキングイベントの企画・運営、展海峰にある売店「ツッテホッテ」の眺望を確保するための木の伐採などの活動に取り組んできましたが、地域のみなさんに協力してもらうことの難しさを感じました。中には大変な作業もあったのですが、なるべく地域の方たちに悪いイメージを与えずに参加を呼びかけることを心がけてきました。

チーム俵「トレイル部」部長の山口昭正さん。

中里:僕は2018年にオープンした「ツッテホッテ」の店長をしてきましたが、「ご当地部」の部長というチーム俵での役割以上に、ひとりの経営者としていかに利益を上げるかということをずっと考えていて、いまもその難しさに直面している最中です。ただ儲ければ良いという話ではなく、ちゃんと雇用をつくって地域に貢献しなければ本末転倒になってしまうのですが、他の人に負担をかけるのであれば自分で全部やってしまった方がいいと考えていたところがあり、いま振り返ると悪循環になっていたのかなと感じています。

「ご当地部」部長の中里竜也さん。

今回のインタビュー会場にもなった「ツッテホッテ」。

森宗:学校部では、2016年~2017年に野崎中、俵浦小、庵浦小という3つの小中学校が閉校したことを受け、これらの利活用が大きなテーマになっていました。地域のフラッグシップである学校がなくなってしまう中、子どもたちと地域の接点をいかにつくるかを考え、廃校になった体育館を開放し、地域の方たちに子どもたちの勉強や遊びを見てもらう「放課後子ども教室」などを実施してきました。ただ、廃校というのは一校丸ごと活用するのが色々と大変で、個人事業の規模ではほぼ不可能だと感じています。かといって、建物というのは人の手が入らなくなるとすぐに朽ちてしまいます。すでに建物自体が限界に近づいていて、かなり厳しい状況に追い込まれている施設もあります。

「学校部」部長の森宗幸彦さん。

俵ヶ浦半島にある廃校のひとつ、庵浦小学校。

山田:私は、空き家を活用した移住・定住・起業支援に取り組む「住まい部」の部長を務めてきましたが、俵ヶ浦半島はすべての地域が市街化調整区域に指定され、空き家活用における規制も多いため、まだ思うような成果は生まれていません。また、私はお寺の副住職として宗教法人の運営に十数年携わってきたのですが、「坊主丸儲け」などと揶揄されるようなお寺のイメージとはかけ離れた法的手続きや資料作成、経費管理など煩雑な作業を通して、法人運営の大変さを身を持って感じてきました。そうした経験があったので、形は違えど2018年にチーム俵を法人化する際には不安がありましたし、実際にクリアしなければいけないハードルがたくさんあるといまも感じています。

「住まい部」部長の山田信一郎さん。

Q.チーム俵の各部の連携についてはいかがですか?

森宗:トレイル部がトレイルコースに休憩スポットをつくるためにベンチづくりをしたのですが、その時に廃校の工作室を開放するなどの連携はこれまでもありました。

半島の木材を使ったベンチづくりの様子。

Q. この地域には以前から木工の文化はあるのですか?

森宗:竹の文化はありますが、木工に関してはないと思います。

Q. 地域で何かをする時には、もともとある文化や資源を生かしていくことが大切です。そういう意味では、廃校活用にしても海産物の養殖などは良いかもしれません。廃校活用の事例として、体育館などを使った養殖は結構ありますし、仮に漁業権がなくても、海水を学校に引き込み、養殖ができる環境をつくれれば誰にも文句も言われないはずです。そうしてつくった海産物をツッテホッテなどで提供することなどができれば、連携も強まるのではないでしょうか。

山口:チーム俵では、ツッテホッテという場所を事業計画の中枢に据えているので、トレイル部の取り組みにしても、トレイルに来てくれた人たちにいかにツッテホッテの存在を伝え、お店の売上につなげていけるのかということを考え、イベントなども企画してきました。ツッテホッテは直売所機能もあり、半島で農業を営んでいる人が商品を納められるので、ここに多くの人が来てお金を落としてくれることは地域への貢献にもつながると思っています。

ツッテホッテには、半島の農家さんが育てた作物などの直売コーナーもある。

中里:ツッテホッテをオープンするまでは各部が独立して活動している感じがあったのですが、お店ができてからは連携が増え、やっと繋がり始めた感覚があります。一方で、各部それぞれが収益を生む事業をするべきではないかという考えも自分の中にはあります。みんながツッテホッテにつなげてくれるのはありがたいですが、この場所を情報発信基地として活用してもらい、それこそトレイル部のウォーキングイベントなども単体で収益が上がる事業にしていけるのがベストだと思っています。

多くの人たちが訪れる俵ヶ浦半島のウォーキングイベントは、年に2回行われている。

Q.イベントは労力も非常にかかるものですよね。山口さんは、もし仮にウォーキングイベントをあと10年続けてくれと言われたらどうですか?

山口:正直荷は重いですね(笑)。これまでのイベントについても運営面に労力が割かれてしまい、来てくれるお客さんを楽しませるというところまでできていないと感じています。それなら、運営は外部の事業者に委託してしまい、僕たち地元の人間は来場者を楽しませる役割に専念した方がいいのではないかという気もしています。

Q.イベントをきっかけにファンをつくるというのは地域づくりの初期段階では大切なことですが、継続はなかなか大変です。理想は、イベントを開催しなくても多くの人がウォーキングに訪れてくれることで、そうした状況をつくっていくことが次のステップだと思いますし、今後はSNSなどを活用して地域の魅力を発信していくということも必要になってくるはずです。

Q. 地域の魅力を発信していく上では、誰に何を伝えるのかということも重要です。例えば、半島のトレイルコースをより多くの人に歩いてもらうためには、どんな人たちに訴求していくべきだと思いますか?

森宗:定年退職をしたばかりの人とかですかね。時間にも余裕があるでしょうし、健康への意識も高いはずなので、ウォーキングをしたいという人は多いはずです。

畑の間も通る半島ならではのトレイルコース。

Q. 間違ってはいませんが、先ほどあった「収益化」につながるような「歩く人」を探すべきです。人を呼び込むという時に、佐世保をはじめ近郊の人たちをイメージしがちかもしれませんが、外に目を向けてみると、ヨーロッパの人たちなどは良いターゲットだと思います。彼らはあまり知られていないような場所に行くことを好みますし、ヨーロッパでは1日に3時間以上歩きたいと思っている人がおよそ3割もいるというデータもあります。また、ヨーロッパの人たちはあちこちへ移動する日本人とは違い、ひとつの拠点にとどまり、料理などをしながら滞在を楽しむ旅行スタイルが主流です。そういう人たちがここに来れば当然さまざまな消費行動が起こるわけで、それこそ宿坊体験のようなことができたら絶対に彼らは喜ぶはずです。こういうことを考えていくことがマーケティングであり、そこで大切になるのは、同じ文化の中で暮らしてきた人たち同士で顔を突き合わせるだけではなく、外に目を向けていくことだと思います。

山田:半島未来計画の策定にあたって私たちは、「知ってもらう」「来てもらう」「滞在してもらう」「住んでもらう」という4つのステップを考えました。ただ、イベントなどで「来てもらう」ことまではできても、その先の「滞在してもらう」ための場がなかなか用意できていませんでした。何かを踏み出さないといけないと思っていたのですが、ここにきて山口くんが農泊ができる場所づくりに動き始めてくれています。移住・定住までの道はなかなか険しいと思いますが、まずは次のステップに進んでいきたいですね。

山口:半島でも耕作放棄地が増えているのですが、日本全体の人口が減っている中で、いままでと同じように仕事に取り組んでいくことは難しいだろうし、いかに農業に付加価値をつけていけるかがカギだと思っています。そのひとつのやり方が農泊だと思っているのですが、これは以前に飯干さんのところに視察に伺ったことが大きなヒントになっています。宿泊して食事もしてもらうことができれば、こちらも農作物や生産者のことなどを伝えられるし、こうしたやり方が俵ヶ浦半島には向いているのかなと。

農泊ができる施設づくりを山口さんが中心となって進めている。

Q. 移住者の受け入れというゴールがあるなら、その前のステップとしていま山口さんが取り組んでいることにみんなで追随すればいいと思います。ツッテホッテや農泊など自分たちの軸になるものを発展させることで、チーム俵以外の地域の人たちとの協調性も生まれてくれば、動きはさらに加速するはずです。そうした良い循環をつくっていくことで地域社会全体が豊かになるはずですし、この地域が好きになり、移住しようと思う人もでてくるかもしれません。

Q.俵ヶ浦半島は美味しいお魚が穫れるにもかかわらず、それを食べられる場所がほとんどありませんよね。例えば、漁師さんに協力してもらい、この辺で穫れる魚で炙り揚げをつくってツッテホッテで提供したら、それが名物になるかもしれないし、漁師さんにとっても直接お客さんの反応が見られる貴重な機会になるかもしれない。そうしたことを色々試していく中で事業にもっと幅が出てくるのだと思います。

中里:色々とアイデアがあったとしても、それを実行するためには資金が必要で、そこが僕らの足かせになっているところがあります。ツッテホッテも経営が決して順調ではない中で、新しいチャレンジをするのはなかなかハードルが高いというのが正直なところです。

森宗:色々なところに視察に行く度に凄いなとは思うけど、自分たちの生活もある中で、はたして借金してまでそれをやるのかと言われると、なかなか難しいところがあるよね。

Q. 大がかりな取り組みを見ると腰が引けてしまうかもしれませんが、中には工夫してコストをかけずにやっている人たちもいます。いきなり一発当てようとするのではなく、一つひとつ積み上げて、徐々に資金力を蓄えていくという考え方が大切です。

中里:いま言われたような炙り揚げが人気商品になるようなこともあり得るとは思いますし、実際に漁師などのツテもあるのですが、石橋を叩いても渡れないような状況の中で行動する勇気というものが欲しいんです(笑)。

Q. 魚なんて売れるかわからないと想像だけで話していても何も変わりません。成功している事業というのはたくさんの失敗の上に築かれているもので、失敗が当たり前くらいの気持ちが持つことが勇気につながるはずです。一度やってみた経験というのは成功、失敗に関わらず必ず実になりますし、人の力に頼らず、まずはやってみることに価値があるんです。

中里:飯干さんは近所の人たちが育てたお米を買い取ってつくったどぶろくや甘酒を全国に展開していますが、始めるにあたって勝算はあったのですか?

飯干さんが代表を務める「高千穂ムラたび」の酒造で手掛ける主力商品「ちほまろ」。甘酒を乳酸発酵させている。

Q.勝算があったというよりは、お客さんのニーズに合うものをつくっていったというのが正しいと思います。何かをしようと思った時にいきなり市場で売るのではなく、まずはテストをして色々な意見を聞くというのが事業の鉄則ですし、自分の思いだけで形にしたものは商品にはなりません。また、最初から村人の米を買い取っていたわけではなく、自分の田んぼ2~3反からスタートし、販売量が増えていく中で隣の田んぼのお米を買い、それが村全体に広がっていったんです。繰り返しになりますが、少しずつ積み上げていくことが何よりも大切なんです。

山口:まずはひとつつくって動いてみるということなんですね。そこで良い結果が得られれば、周囲に自分もやってみようという人が出てくるかもしれない。

中里:飯干さんを行動に掻き立てるモチベーションは何なのですか?

Q. 次の時代の農村社会をつくるために何ができるのかということです。地域づくりなどもそうですが、何のためにそれをやるのかということが自分の中で明確になっていないと、結局つらいだけになってしまうんですよね。チーム俵にしても、何のためにこの組織をつくったのかということを改めて見つめ直してみる必要があると思うし、それが明確になれば、目的に到達するために何が必要なのか、みんなでアイデアを出し合うことができますよね。小さなことからでもまずはそれをやってみることで学べることがたくさんあるはずだし、それを積み重ねていくことが地域への貢献になり、次世代にもつながっていくのだと思っています。

プロフィール
インタビューされた人
チーム俵
俵ヶ浦半島未来計画を実行に移していくため、2017年4月に半島のまちづくり組織として発足した「チーム俵」。2018年4月には法人化し、「ご当地部」「トレイル部」「住まい部」「学校部」「宣伝部」5つの部活(プロジェクトチーム)をスタート。半島に暮らす山口昭正さん、森宗幸彦さん、中里竜也さん、山田信一郎さんらが理事として各部の部長を務める。2017年から3年間は佐世保市による重点支援期間であり、市や地域外の専門家チームがサポートしていたが、今後は部長たち自らが活動をリードしていく予定。

インタビューした人
飯干敦志(「高千穂ムラたび」代表)
54歳で高千穂町役場を早期退職し、「持続可能な村づくり」に取り組む。宮崎県高千穂町の40世帯、人口100人の秋元集落で、UIターンの若者たちと共に民宿やドブロクづくり、花卉や夏イチゴの栽培、イチゴやお茶の加工品製造販売などを営む。高千穂町観光協会と連携して高千穂ムラたび活性化協議会を運営。スピリチュアルや大自然、伝統文化などを組み合わせながら農村に新たな価値を創造するビジネスを手掛けている。

March 10 2020

俵ヶ浦半島・庵浦町に今も大切に根づく美しき教え

俵ヶ浦半島・庵浦町に今も大切に根づく美しき教え

■ 庵浦町の歴史・文化を巡る「庵浦町 お遍路トレイル」

俵ヶ浦半島の東部、佐世保湾側の入り江に位置する庵浦町。ここには、佐世保の日宇新四国八十八ヶ所(お遍路さん)の札所も多く、「庵浦町お遍路トレイル(PDF)」を巡るとその歴史や信仰にも触れることができます。

「庵浦町お遍路トレイル」は俵ヶ浦半島トレイルコースの2本目のコースとして2014年に誕生。地域の皆さんが作ったコースは、六道の辻にある弘法大師を祀る「御弘法さま」や「金刀毘羅さま」、九州二十四地蔵尊霊場の第14番札所でもある「六大寺」など、この地の歴史や文化、暮らしを感じるスポットを巡るコースです。

なかでも庵浦町民に長く親しまれ、大切に守られてきた象徴的な存在が、庵浦の中心集落にひっそりと佇む「御観音さま」。

町の中心集落に位置する「御観音さま」。日宇新四国八十八ヶ所の札所のひとつ。

ここ御観音さまでは、年に2回だけ、代々受け継がれている2枚の地獄絵が開帳され、地域の方々が家族と集まり、「心」を大切にする教えを伝えています。その御観音さまと地獄絵について、庵浦町の大谷政輝館長に話を伺いました。

 

■ 年に2回、御観音さまに飾られる「地獄絵」

毎年1月16日と8月16日、お観音様に2枚の地獄絵が飾られます。半年に一度のこれらの日は地獄の釜のふたが開く「閻魔縁日」とされ、地獄で死者を責める鬼たちも休みの日。御観音さまはいつ頃から祀られているのか、確かな文献はないそうですが、その昔、村に疫病が流行った時、亡くなられた方々の供養のために御観音さまが安置されたと伝えられています。隣に建立されたお地蔵様のところには、江戸後期の「文政4年」(1821年)と刻まれています。御観音さまや開帳される地獄絵も、同時期に伝わったのでは、とのこと。

飾られる地獄絵は、1枚は閻魔大王をはじめ10人の王が描かれた「十王図」で、もう1枚は「観心十界図」。

開帳時の御堂の様子。観音様を中心に、左が「観心十界図」、右が「十王図」。

「観心十界図」は、「心」の文字を中心に10の世界が描かれています。「心」の字の上に描かれたのが仏界で、そのほか天道、人道、畜生道、地獄道などの「十界」が並んでいます。「心」とは人の心で、「良いことをするのも悪いことをするのも自分の心次第。心のありようで次の生を受ける世界が決まる。」という意味が込められています。

 

■ 代々受け継がれる地獄絵の教え

年に2回の開帳の日。この日は庵浦町内の方々が集まり、供養のために御詠歌を唱えます。昔から親や祖父母に連れられて子供たちも一緒にお参りをしたそうで、お参りの際には子供たちに「嘘をついたり、人をいじめたり、悪いことをしたら地獄に行くよ……」と地獄絵のお話を。大谷館長も子供の頃に訪れたとき、この小さな御堂で見る地獄絵はとても怖かったそう。

地獄絵を前に庵浦町の歴史を話してくださった、大谷政輝・庵浦町公民館長。

こうした「心」を大切にする教えは、今もなお庵浦町で言い伝えられ、親から子へ、子から孫へと大切に受け継がれている、と大谷館長は話します。また、こうして教えを伝えることが、地域の老若男女の交流にもつながり、地域に対する想いを育んでいくことにもつながります。

地域の方々が教えとともに守り受け継ぐ2枚の地獄絵。次回開帳されるのは8月16日です。地獄絵の開帳に合わせて、「庵浦町 お遍路トレイル」を歩いてみてはいかがでしょうか。

御観音さまの前で庵浦町の皆さんと。

参考:
庵浦町公民館創立50周年記念誌(1999年)
長崎新聞「代々受け継ぐ 庵浦の『地獄絵』」(2016年8月21日)

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