俵ヶ浦半島の魅力発信!!|チーム俵

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January 10 2020

受け継がれてきた野崎町の味「野崎寿司」を次の世代に。

長崎県北地域のおもてなし料理として伝えられる押し寿司は、具材や作り方が地域によって少しずつ異なります。もろぶたに酢飯を広げ、煮付けた根菜などの具材を散らし、さらに上から酢飯を重ねたものを5cm角ほどの大きさに切った「大村寿司」や「もろぶた寿司」。寿司の側面から挟み込んだ具材が見えないように、1つずつ型に入れて作る「平戸寿司」など、県北地域の中でも地域や作り手によってそれぞれのこだわりが見える郷土料理です。

俵ヶ浦半島の野崎町に伝わる「野崎寿司」も他の地域とは異なる逸品。新鮮な魚のそぼろや根菜などを使った具材と、甘酸っぱい濃厚な酢飯が絶妙なバランスで、これまで販売していた展海峰でのウォーキングイベントでも真っ先に売り切れるほどの人気商品でした。

扇型が特徴的な野崎寿司。

しかし、調理には大変な手間と時間がかかるため、なかなか若い世代に引き継がれていないのが現状です。その負担の大きさから、野崎町の皆さんによるウォーキングイベントでの販売も今年から休止となってしまいました。

 

秋のウォーキングイベント「展海峰コスモスウォーク」を明日に控えるこの日、野崎町公民館からコトコトと煮込む音が聞こえていました。

俵ヶ浦町在住、チーム俵トレイル部部長の山口昭正さん一家が調理をしています。隣で見守りながら教えているのは、山口さんのおばさんにあたる中里ノブエさん。野崎町に嫁いだ中里さんは、町内の皆さんと一緒に野崎寿司を作られてきました。

野崎寿司の調理を教える中里さん(右)と山口さん親子(左から1番目・2番目)。

山口昭正さんは、
「ウォーキングイベントの企画をしていくなかで、ウォーキングの目玉だった野崎寿司がなくなるのはもったいないな、と。幸い、近くにノブエおばさんがいて作り方は教えてもらえるので、今回のコスモスウォークに向けて調理、販売をやってみようと思って。」
とのこと。

今回の野崎寿司の調理は、九十九島の海に出て、アジを釣ってくるところから始まりました。
山口さん自身が釣ってきたアジの魚を一度焼き、丁寧にほぐし、さらに炒ってそぼろにします。そして、茹で干し大根や干し椎茸を細かく刻み、ごぼうをささがきにしてコトコトとじっくり煮込みます。

実際に野崎寿司の具材を作ってみると、魚の下処理、根菜などの刻み方、ひとつひとつの手間に、普段のお料理にも約立つコツや秘伝が満載。料理の基本を伝えていく役目があったことが分かります。ハレの日に大勢でいただく野崎寿司は、その美味しさだけでなく、知恵やおもてなしの心もたっぷり詰まった郷土のごちそうです。

今回、野崎寿司の作り方を教える中里ノブエさんは、
「俵ヶ浦町でも押し寿司を作っていましたが、味付けは違いますね。私が野崎町に嫁いでからは野崎町の作り方を習いましたけど、詳しいレシピは教わってないとですよ。野崎の人たちと一緒に作って、見よう見まねで覚えていったとです。今でも詳しいレシピは分からんですよ。」
と笑いながらも、山口さんたちに手取り足取り教えてくれます。

「最近は集まって野崎寿司を作ることもなくなりましたね。手間もかかりますし、若い人も忙しかったり、自分の家でも作ることもほとんどなかとですよ。」
と語る中里さん。今回の山口さんからのお願いに、レシピは分からないと言いつつも、嬉しそうに教えている姿がありました。

詳しいレシピがないため、味付けの様子を見せてもらい、味見をしながら作り方を学びます。

この日は押し寿司に入れる具材を仕上げて終了。コスモスウォークが開催される明日の早朝からご飯を炊いて酢飯を作り、押し寿司を仕上げていきます。

 

翌朝、野崎町公民館には前日よりも多くの方が集まっていました。押し寿司を準備していることが伝わり、地元の料理名人・森宗カツ子さんをはじめ、町内の方々が手伝いに来てくれました。

調理を手伝ってくれた野崎町の皆さん。

野崎寿司はまず酢飯の中に具材を入れこみ、丸く成型。

野崎町の料理名人、森宗カツ子さん。手際よく、押し寿司を作り上げます。

手際よく、どんどん完成していく押し寿司。野崎寿司は扇の形をしているのが特徴ですが、今回は通常の押し寿司として、四角の型で作っています。そして、山椒の葉っぱなどを飾りつけして、「野崎仕込みの押し寿司」が完成。
コスモスウォークの会場、展海峰にて販売しました。

手作りのラベルと、おもてなし料理として水引を使ってパッケージ。

これまでウォーキングイベントで使用されていた野崎寿司の看板を今回も出してくれました。

山口さんは、
「野崎寿司を残したい、作ってみたいと思ったものの、予想以上に手間もかかり大変でしたね。でも、それも含めて色々と経験でき、気づきがあったので良かったです。野崎寿司を知ってもらうには、作るだけじゃなくて、売っていくための工夫もせんといかんと思います。野崎寿司を残していくために、どうやったらやっていけるか考えんといかんですね。」
と、振り返ります。

野崎寿司に限らず、各地ならではの郷土料理は、少子高齢化や食生活の変化により継承していくことが難しくなっている状況があります。
野崎寿司は、野崎町だけでなく俵ヶ浦半島の各町の皆さんに愛される逸品。この文化や魅力を守っていくために、試行錯誤は続きます。

手間ひまかけて、具がたっぷり詰まった野崎寿司。他にはない美味しさです。
今後も販売する際はお知らせしますので、ぜひご賞味ください。

 

December 23 2019

半島の魅力を味わうウォーキングイベント「第16回 展海峰コスモスウォーク」を開催!

清々しい秋晴れの日、10月13日に毎年恒例の「展海峰コスモスウォーク」を開催しました。
前回、3月に予定していた菜の花ウォークが天候不良のため中止となり、約1年ぶりのウォーキングイベントです。今年のコースは俵ヶ浦歴史遺産トレイル。約10kmのロングコースですが、折り返し地点となる日本遺産「佐世保要塞 丸出山観測所跡」からは、九十九島の絶景を眺めることができる半島の魅力が詰まったコースです。
 

コスモスが咲き誇る展海峰を拠点に開催したコスモスウォーク。


 

今年で16回を迎える「展海峰コスモスウォーク」は、俵ヶ浦半島の4町内会の親睦の場として16年前にスタート。各町内のお母さん方が腕によりをかけて作った手料理の屋台が並び、近隣の多くの人が楽しみにする恒例イベントとして成長してきました。

イベントで歩くコースは、各町の住民の皆さんが、見どころなどを出し合って作ってきた俵ヶ浦半島トレイルの4コース。それぞれが町の魅力を伝えるのもで、ウォーキングイベントは、参加者の皆さんと一緒に半島の魅力を楽しむ大事な機会です。

イベントの準備は、広報から始まって各方面への連絡調整、コースの草刈りや清掃、各町からの屋台出店やふるまいの準備、当日の運営や警備など、多くの人手が必要です。16年続けてきた恒例のイベントも、各町の負担が重く感じられるようになっていました。

そこで昨年から実施主体をチーム俵に移し、各町内会の協力で開催するよう体制を整え、新しい企画も少しずつ盛り込んでいくことになりました。

俵ヶ浦町の山口館長。イベントでは町内会の皆さんと一緒に参加者をお出迎え。


 

参加する皆さんに楽しんでいただけるように、景品が当たる抽選会企画や振る舞いのぜんざいなどを用意。地域で採れたミカンや野菜など、抽選会の景品にと持ち寄ってくれる方々もいて、地域の皆さんに支えられながら準備をしてきました。

今回のウォーキングイベントを担う、チーム俵トレイル部副部長の長嶺達夫さんは、
「準備の中でもウォーキングコースの草刈りが大変なんですが、町内会でやっている草刈りが終わった後にコースの草刈りをしてくれた方もいたそうです。この時期、各町内会も行事などで忙しいんですが、皆さんの協力のおかげで無事当日を迎えることができました。あと、一番気になっていたことは天候。前回、中止の判断をした後に天候が回復したという苦い経験もあって、その判断が難しく、中途半端な天候にはなってくれるな、と思っていました。」
とこれまでを振り返ります。
 

そして迎えた開催当日。心配された台風も逸れ、市内外より200人を超える方々が集まりました。

スタート前、参加者で賑わう展海峰。


 

受付では、「木のものづくりプロジェクト」で製作してきたバードコールの販売も行っています。俵ヶ浦町の前町内会長、湯浅さんが店番に立ってバードコールを鳴らし、まるで鳥を呼ぶようにお客さんを呼び込みます。早速バードコールも売れ始めました。

ウォーキング参加者にバードコールを紹介する湯浅さん


 

ウォーキングイベントは、俵ヶ浦半島の取り組みを多くの方々に知っていただく良い機会。バードコールを始め、取り組んでいる料理メニュー開発のテスト販売なども行なっています。

9時30分となり開会式。主催・チーム俵の森宗幸彦さん司会による第一声に始まり、来賓の方々のご挨拶、半島内の老人ホーム・海南荘スタッフによるラジオ体操と続きます。

開会式でコースの紹介や注意事項などの説明を行うチーム俵の森宗さん。


 

スタートして最初に展海峰園内のコスモス畑を巡るのは、前回から取り入れたアイデア。今年は8月の大雨や台風の影響もあり開花がやや遅れたものの、咲き渡るコスモスに参加者の皆さんの笑顔が広がります。

展海峰のコスモスを眺めながらのスタート。


 

近年は半島以外から来られる参加者も多くなり、中には毎回参加していただいているリピーターも。「今年は距離が長いねー」と言いつつ、張り切っておられるご様子。

展海峰を出てしばらく歩くと、休憩ポイントに到着。
こちらでも地元の方々がお茶や半島の蒸かし芋、みかんなどを振る舞います。今回は、「ハーブプロジェクト」で栽培しているハーブを使ったアイスハーブティの試飲も行いました。歩き疲れ始めた頃にすっきり飲めるハーブティは大好評。販売を熱望する声もいただき、これからの商品開発の励みになります。

中継ポイントでは地元の方々によるおもてなし。すぐに人だかりが。

みかんや柿、ふかし芋など、たくさんのおもてなしで、みなさんゆっくり休憩を。

俵ヶ浦半島で栽培したハーブを用いたハーブティを提供。


 

またしばらく歩くと、折り返し地点の日本遺産「佐世保要塞 丸出山観測所跡」。絶景を前に長居してしまう方々ばかりで、あっという間に人だかりが。


 

ちょうど稲刈りの時期でもあり、掛け干しをする姿を横目にウォーキングは続きます。
我先にと先頭を進む子どもたちや、のどかな景色を楽しみながら歩く人、周りの流れに乗って雑談しながら歩く人、自分のペースを守りながら本格的に歩く人。皆で一斉にスタートするウォーキングイベントですが、皆さん自分のスタイルでトレイルコースを楽しんでいます。

稲刈りシーズンのこの日は、ちょうど掛け干しの作業を行うご家族も。


 

ウォーキングゴール後は恒例のぜんざい。今回も野崎町の料理名人・森宗カツ子さんが丁寧に炊き上げた小豆です。疲れた体に甘さが染み渡る絶品。
展海峰の屋台には、地元のお母さん方のチーム「マザーズたわらんだ」による「季節のおこわ」や「手作り魚ロッケ」、青葉の散歩道の「スペシャリティコーヒー」のほか、「野崎仕込みの押し寿司」、「鶏の炭火焼き」が並びます。ウォーキング参加者に加え展海峰を訪れたお客さんも混じり、商品が多数完売する盛況ぶりでした。

参加者の疲れを癒す、絶品のぜんざい。

マザーズたわらんだのおこわや魚ロッケはすぐに完売。


 

終了後、長嶺さんは、
「参加した皆さんの様子を見られたのはゴールされてからだったんですが、皆さん充実されているようで良かったです。参加人数も満足いくものでした。地元からの参加者が少なかったことはひとつ残念でしたが、告知や運営面なども工夫したり、人手不足なところを解消したりしていければと思います。」
と、イベントをさらに良くしていきたいと語ります。

これまでウォーキングイベントを開催してきた俵ヶ浦半島開発協議会の大谷会長は、
「若手の皆さんでこうやって続けていってもらえるのは嬉しいですね。チーム俵に移って色々と試している段階かと思いますが、今でも町内会の役割はありますし、チーム俵と町内会とでうまいやり方ができていけばと思います。」
とのこと。

ウォーキングイベントをきっかけに初めて俵ヶ浦半島を訪れる方も多く、半島の魅力を知っていただける絶好のチャンスです。同時に、半島住民の方々が集まる貴重な機会であり、地域の皆でお客さんをおもてなしできる時間でもあります。

これからも皆さんに楽しんでいただけるウォーキングイベントを企画していきたいと思います。
次回は3月、春の菜の花ウォークです。皆さんのお越しをお待ちしています!
 

December 7 2019

「俵ヶ浦半島活性化プロジェクト」プロデューサー・佐藤直之さんが、issue + design代表・筧裕介さんに聞く、「計画を実行する上で大切なこと」

2017年より進められてきた佐世保市・俵ヶ浦半島の活性化プロジェクトにプロデューサーとして関わってきたルーツ・アンド・パートナーズの佐藤直之さん。福岡に拠点を置き、俵ヶ浦半島以外にもさまざまな地域のまちづくりに関わっている佐藤さんがインタビューするのは、数々の社会課題の解決に取り組んできたissue+designの代表で、地域活性化のためのデザイン領域の研究や執筆なども行っている筧裕介さんです。ブリックモールさせぼを会場に公開イベントとして行われたインタビューでは、佐藤さんが半島活性化プロジェクトを進める中で感じてきた課題や問題意識をベースに、筧さんにさまざまな質問を投げかけました。

Q. 私たちは、俵ヶ浦半島の未来の道標となる「半島未来計画」を、地域住民の方たちとつくりました。そして、この計画を実行していくまちづくり団体として、地元の若手リーダーたちを中心とした「チーム俵」を立ち上げ、町内会などとも連携しながらさまざまな活動に取り組んできました。私は、民間企業という立場からこの活動をサポートするチームに加わり、プロデューサー的な役割を担っているので、今日は外部の視点からさまざまな地域づくりに関わられている筧さんに色々お話を伺いたいと思っています。まずは、筧さんが地域の仕事に関わるようになったきっかけからお聞かせ頂けますか?

筧:地域の仕事をするようになってから10年以上が経ちますが、もともと僕は広告のデザインの仕事をしていました。仕事自体は面白かったのですが、広告にはつくっては消えていくような刹那的なところがあって、自分がつくったものが世の中にしっかり残り、役に立っていくようなことはできないのかと思っていました。周りの人たちに比べて、僕はそこまで広告の仕事が好きではないかもしれないと感じていたこともあり、もっと熱中できて、なおかつ他の人があまり足を踏み入れていない領域として、社会課題をデザインの力で解決するようなことはできないかと考え、issue+designを立ち上げました。そして、神戸で防災をテーマにしたデザインプロジェクトに関わったことがきっかけとなり、徐々に地域に関わりながら仕事をするようになっていきました。

壇上のissue+designの筧裕介さん(右)と、ルーツ・アンド・パートナーズの佐藤直之さん(左)。

Q. そこから生まれた「できますゼッケン」は、東日本大震災の時にも活用されていましたよね。もともとはまちづくりよりも、社会課題の解決が筧さんの大きなテーマだったのですね。

筧:はい。その後、神戸で自殺やうつ病対策、孤独死の問題などに関わる仕事をしていく中で、日本の地域にはさまざまな最先端の社会課題があることが見えてきました。そして、地域というある程度限られたフィールドで課題解決に取り組んだ方が良い仕事ができるのではないかと考えるようになっていきました。その頃から、都市部よりも中山間地域や離島地域で仕事をする機会が多くなり、社会課題から地域課題の解決に仕事のフィールドがスライドしていったんです。

災害時、ボランティアの力を最大限活用するために「自分ができること」を示す「できますゼッケン」。

Q.筧さんは大学院に通われたり、数々の著作を出されたりしていますが、こうした研究活動と現場での仕事の関係については、どう考えていますか?

筧:実践をしっかりしなければ、研究をしたり、理論を考えることもできないと考えています。また、親が転勤族で、僕は故郷と言える場所がない人間だということもあり、特定の地域に根ざして何かをするよりは、どの地域にも共通してあるような課題を解決する手段や方法論を、できるだけわかりやすく、誰もが使える形にして伝えることが自分の役割だと思っているところがあります。だから、さまざまな地域での実践から得られた知見を理論化し、本にするという作業を続けているんです。

筧さんの新著。SDGsと地域づくりの関係がわかりやすくまとめられている。

Q.俵ヶ浦半島の未来計画づくりにあたって、筧さんが指揮を取った高知県佐川町の総合計画についてまとめられた本などを読み、参考にさせて頂いた部分もありました。佐川町のプロジェクトでは、住民へのヒアリングを非常に丁寧にされている印象を受けたのですが、どのようなプロセスで計画づくりが進められたのか改めてお聞かせください。

筧:佐川町には2013年から関わっているのですが、当時は街全体に活気がなく、地域のコミュニティもバラバラの状態でした。街に前向きな雰囲気があまりない中で新しい町長が就任したのですが、町長がまちの未来のヴィジョンづくりを公約として掲げていて、そのお手伝いを我々がさせてもらうことになりました。1年目は役場職員の意識向上や地域住民との関係性づくりをテーマに、役場の方たちとのワークショップや、町民の方たちへのヒアリングなどを行いました。その後2年にわたって、住民参加型のワークショップを計18回行い、最終的にはまちで最も大きなホールに約300人を集め、街の未来をついて話し合ってもらうワークショプを実現することができました。

佐川町で行われたワークショップの様子。

Q. 住民参加のワークショップは集客が大変だと思いますが、これだけ多くの人たちを巻き込むことができたのは、やはり住民の方たちと丁寧に関係性を築いていかれたからだと思います。

筧:ワークショップを始めたばかりの頃は、住民の方たちもそこまで乗り気ではなかったと思いますが、参加した人が楽しかったからと周りに声をかけてくれるようになったんです。僕は地域でプロジェクトを進めていくにあたって、とにかく住民の方たちが参加する場を充実させ、楽しい体験をしてもらうということを大切にしていて、そのための設計を入念にしています。こうした積み重ねによって、ワークショップを重ねるたびにどんどん参加者が増えていきました。そして、最終的には、住民のみなさんがやりたいと思っていることをベースに、25のまちの未来像をまとめました。

佐川町での取り組みは一冊の本にまとめられている。

Q. 地域の仕事をしていると、ほとんどの地域が少子高齢化で人口が減少しているにもかかわらず、その土地で暮らしている人たちはあまりリアルな危機感を持っていないのが実態だと感じます。だからこそ、まちの未来のヴィジョンや計画は、いかに住民の方たちが自分ごと化できるようなものに落とし込めるかがポイントだと感じています。

筧:役場の職員などは地域の課題を認識し、解決に向けて動こうとするのですが、地域住民にとってはそれがあまり重要ではなかったりするんですよね。だから、佐川町の25の未来像では、こんな未来を目指しますという書き方はせず、住民のみなさんがこんなことをしてこのまちを楽しみますという未来を描きました。結局計画というのは住民の方たちが実行していくものになるので、まずはその人たちが10年先にいまより楽しくこのまちで暮らせるかというところから考えていくべきだと思うんです。また、地域の未来ヴィジョンというのは、企業理念のように明確なゴールを設定するようなものではなく、ゆるやかにみんなが同じ方向を見ることができ、そこに何かしら自分に関係する内容が盛り込まれているということが大切なのではないでしょうか。

今回初めて佐世保に来たという筧さん。

Q. 佐川町の25の未来像は、それぞれ実現に近づいているのでしょうか?

筧:25の未来像は、すべて実現に向けて取り組みが進んでいて、すでに形になっているものもあります。地域づくりの仕事をするようになって、東京などのビジネスの世界とはまったく時間の流れ方が違うということがわかったのですが、この未来像についても進捗具合はさまざまです。行政の担当者などは限られた時間内で何かしらの結果を出そうとしますし、僕自身結果を出さなければいけない立場でもあるので、最初は住民の方たちのお尻を叩きたい気分だったのですが(笑)、住民の方たちからすると1年という区切りには何の意味もないんですよね。そんなことよりも、地域の人たちがやりたいと思うタイミングに合わせて、少しずつプロジェクトが立ち上がっていくという状態を大切にした方が良いということを、このプロジェクトを通して学ばせてもらっています。

インタビューは初めてということで緊張していた佐藤さんも、時間とともにリラックスしてさまざまな問いを。

Q.ゆるやかに進行している25のプロジェクトに対して、issue+designはどんなフォローをしているのですか?

筧:計画をつくってからの2年間は進捗確認の場を持つなど我々も色々サポートしていたのですが、いまは特別なフォローはしていません。ただ、25の未来像の中で、「ものづくり産業を育てる」「プログラミングとロボット教育」に関しては、我々がプレイヤーとなって計画の実行にあたっています。前者では、自伐林業から新しい仕事をつくることを目的に、「さかわ発明ラボ」というデジタルファブリケーション工房をつくり、後者については、小学6年生を対象に、地域の素材を集めて動物のロボットをデザインし、プログラミングで動かす「さかわロボット動物園」というプログラムを、来年度からまちのすべての小学校でスタートさせる予定です。

さかわ発明ラボ

ロボット動物園で生まれた作品たち。

Q.俵ヶ浦半島でもチーム俵の中のトレイル部というチームが、半島の景観を良くするために伐採した木でベンチをつくったことがありました。ただ、こうしたボランティアに近い取り組みは継続がなかなか難しいところがあると感じています。佐川発明ラボでは、林業から新しい事業をつくることを目的にされていますが、具体的にはどんな取り組みをしているのですか?

筧:この工房を通じて、まちに新たな熱を生み出すことを目指しているのですが、熱のつくり方というのはいくつかあるんです。まずは魅力あるヴィジョンをつくることで地熱のようなものが自然に生まれるというのが理想ですが、これはそう簡単ではありません。また、別の方法として、外からの新しい熱と混ぜ合わせるというアプローチもあり、さかわ発明ラボではこれを意識しています。その中で、地域おこし協力隊の枠で「発明職」というものをつくり、まずはインターンシップで2泊3日で佐川町に滞在し、まちの資源を活用して工房で色々な発明をしてもらうという取り組みを行っていて、結果的にアーティストなどさまざまな人たちがこの4年間で20名ほど移住しました。また、未来像のひとつとしてあった「散歩しやすいまちづくり」と連動する形で、散歩のために必要なベンチをつくるワークショップを住民の方たちと行ったりもしました。さらに、地元の事業者の技術と発明ラボのテクノロジーをかけ合わせて新しい事業をつくるような取り組みもしていて、その中で昔からの住民と移住者の交流なども生まれています。

住民がデザインから携わった個性豊かなベンチ。

Q.筧さんのお話を聞いていると、住民のアイデアや意欲を形にしていくことを非常に大切にされているように感じます。

筧:そうですね。あまり計画を忠実に実行している感覚はなく、出てきたアイデアはどんどん手を動かしながらみんなで取り組んでいきましょうというスタンスですね。地域の中には、熱心に趣味の活動をされている方などもかなりいらっしゃいますが、あくまでもその人がやりたいことをベースに、それを外に開いたり、他の人とつなげるということを意識しています。まず地域に課題があり、それを解決するために人を探すという順番になりがちですが、それだとうまくいかないケースが多いんですね。一方で、その人がやりたいことを後押ししていくという視点に立てば、まちのプレイヤーになりうる人というのはまだまだいるんじゃないかと感じています。

インタビューは公開形式で行われ、平日夜にも関わらず佐世保市内外から多くの方が来場しました。

Q. 俵ヶ浦半島でも、未来計画をつくり、チーム俵を中心にさまざまなプロジェクトを進めていく中で、ここにきてようやく地元の人たちが自ら動き始めたように感じています。例えば、半島では畑を持っている方が多いのですが、そういう人たちが歳を重ねて、もう重たい野菜はつくりきれないという状況の中で、ハーブをつくろうというアイデアが生まれ、地元の人たちが動き始めているんですね。こういう自発的なチャレンジが生まれつつある中で、いかに楽しく続けてもらえるかということがポイントになるのではないかと感じています。

筧:地域に足りないものを補うために外から人を呼んできても、あまりうまくいかないことが多いんですよね。逆にうまくいく時というのは、必ず必要なタイミングで必要な人との出会いがある。だから自分が地域に関わる時は、そこにどんな人たちがいて、どういうチームで地域の課題に挑んだら最大のパフォーマンスが発揮できるかということを常に考えています。ひとつ先くらいまでのつながりの範囲内でできることをやっていくことが最も大事で、それを続けているうちに、また新しいつながりやチャンスも生まれるのではないでしょうか。

俵ヶ浦半島でハーブの植え付けを専門家から教わる住民たち。

Q.佐川町では、地元の人たちがやりたいことをベースにプロジェクトのアイデアやプロトタイプが生まれ、それをいよいよ可視化していくという段階で、初めて専門家に協力を仰いでいるような印象があります。

筧:あくまでもそのプロジェクトをやりたいと思っている住民の主体性を尊重し、それを後押ししていく中でその人たちだけでは形にできない部分が出てきたら、地域の中の専門家や地域おこし協力隊などにつなぎ、それでも足りなかった時に初めて我々を含めた外部の人間がサポートするというケースが多いです。計画通りに物事は進まないという前提に立ち、あるタイミングで地域から湧き出るように何かが生まれてきた時に、それを後押しできるように準備を整えておくということが自分たちの役割だと思っています。まちにプロジェクトを起こしていくというのはそういうことなんだというのは、我々も地域と関わる中で勉強させてもらったことですね。

佐藤さんによる公開インタビューのレポートはこちら。
「気づきの多かった「半島meets公開インタビュー」、盛会のうちに終了。」

 

プロフィール

インタビューされた人
筧 裕介 (issue+design 代表)
慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科特任教授。博士(工学)。一橋大学社会学部卒業。東京大学大学院工学系研究科修了(工学博士)。2008年issue+design 設立。以降、社会課題解決、地域活性化のためのデザイン領域の研究、実践に取り組む。 著書に『持続可能な地域のつくり方』『ソーシャルデザイン実践ガイド』『みんなでつくる総合計画』『震災のためにデザインは何が可能か』など。グッドデザイン賞、日本計画行政学会・学会奨励賞、カンヌライオンズ(仏)、D&AD(英)他受賞多数。2019年7月より慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科特任教授。

インタビューした人
佐藤直之 (ルーツ・アンド・パートナーズ 代表)
大阪府生まれ。2004年に建設コンサルタント会社に入社、九州各地の公共交通の再生プロジェクトや交通政策、まちづくりプロジェクトに従事。「地域に密着したまちづくりに関わりたい」という思いから、九州大学の博士課程に入学。NPO法人や地域活性化プロジェクトの事務局長を複数務めながら、福岡市や唐津市、佐世保市などの地域密着型のまちづくりに携わる。2010年、唐津市に設立されたまちづくり会社に入社。商店街再生、集客事業、建物のリノベーション・再生をはじめとして、中心市街地活性化に関する様々なプロジェクトの企画・プロデュースにどっぷりと浸かり、地域密着型のまちづくりの難しさ、やりがいを学び、まちづくりプロデューサーとして独立の道を決断する。2013年にRootsを開業、2016年、株式会社ルーツ・アンド・パートナーズを設立。「俵ヶ浦半島活性プロジェクト」では住民をサポートするチームのリーダーを務める。

November 12 2019

半島農家・山口昭正さんの熊野(三重県)訪問記

とても良い経験が出来て充実した二日間でした。

皆さんにも言えることかもしれませんが、我々農業従事者は日々、天候や作物、出荷、お 金の管理など目の前の業務に追われ本業以外の事に割く時間が限られています。特に天候というのは自分の管理下におけず最も頭を悩ませます。

そういったことから、もっとこうしたい、こんな新しいことがしたいと考える時間、実行する時間なかなか取れないのが現状です。 ですから今回のインタビューでは同じような環境下にある近藤さんが、どういう着眼点からどのように周囲と関わられているのかが一番の関心事でした。

とはいえ、私自身日々の仕事に追われていて休日もない状況だったこともあり、近藤さんも同じ農業者ということで日々の仕事に追われながら経営されているのかなと思っていました。

今回訪れた三重県熊野市新鹿町

近藤さんが暮らす熊野まで、電車と新幹線で新大阪まで行って一泊、翌朝レンタカーを借りて約4時間。約10時間かかって到着した熊野は、まるで半島と変わらない海と山に囲まれた自然豊かな場所。そこでお会いした近藤さんは、初めて会った気がしないようなフレンドリーなナイスガイ!半島の仲間のような感じでした(笑)。

近藤さんにお話を聞いてみると、同じ農業主体の兼業でSUPのインストラクターや、観光ガイドのような仕事もされてるそう。さっそくSUPのフィールドを見せてもらいました。淡いブルーの遠浅の砂浜が広がっていて、初心者にも安全で条件がいいなぁ。

また、この海は私たちが泊めてもらった場所の目の前で、こちらはこれからゲストハウスと地域の皆さんが気軽に集まれる軽飲食店に改装する予定とのこと。すんばらしいなぁ~。

SUPのボードなどは、海辺の旧旅館内に置かせてもらっているそう。

 

次に案内されたのは、近藤さんが営むミカン畑。

地元の農家さんが年齢的に離農された畑を受け継がれたそう。そこから見える景色がまた素晴らしい。さっきまでいたSUPのフィールドがいい感じに望める棚畑は潮風が心地良かったです。

奥に見える獣対策の柵は自分で取り付けたそう。

 

栽培にあたって大変なことは獣被害。

これはどんな地域でも同じ課題かと思ったら、俵ヶ浦半島が猪やカラス程度なのに対し、こちらでは鹿や猿も。同じ農業者として私は恵まれている方だと感じました。猿からの被害が酷いときは7割もやられてしまうそう。だからこそ、農業の厳しい面を副業で支えるようにしているんですね。ここは私も同意見で、ますます親近感が湧いてきました(笑)。

職をたくさん持つことで、自然環境の変化によって収益が左右される農業のリスクを減らすことができる。
でも、農業は好きなので、やっぱり経営の軸にしたい。
これも同じ考え方。自然と気持ちが上がりました。

 

翌日は朝から雨でしたが、隣町の遊木漁協で競りの見学ができるというので行ってきました。

こちらの漁協は衛生面に気を配ることで付加価値を上げようと、さまざまなルールを作って運営されていて、市場の中は帽子着用が必須。靴も長靴で、入場の際には消毒液のタイドプールを通ってからという徹底ぶり。海況が悪かったので並ぶ魚は少なかったですが、競りに参加されている人は若い方が多いのが印象的でした。世代交代を進め、新しい風が吹いている漁港では、非常に楽しそうに競りが行われていました。

 

漁港見学のあとは、今回泊めてもらった改装中の宿に戻って朝食。
朝ごはんは、近藤さんの奥さんお手製のホットサンド。さりげない気づかいがうれしかったです。
宿は、目の前がビーチなので程よい海風が入ってきて、とても快適でした。

改装前の1階で朝食をいただきました。

甘夏ジュースやジャムも近藤さんの畑で獲れた柑橘を加工したもの。

デザートは近藤さんちのミカン。甘くて美味しかったなぁ。冷蔵庫で長期保存していたそう。

 

近藤さんへのインタビューを終えて

近藤さんが週に1度店番を務める喫茶店(茶屋)にて、食後のコーヒーを淹れてもらいました。

 

近藤さんは、自分の軸足となる果樹園の仕事と、自分の趣味でもあるアウトドアガイドという仕事をバランス良くされていて、ストレスなく働いている印象を受けました。また、それらの仕事を継続するためにも活動フィールドである地域がなくなってしまっては意味がなく、地域の活性化にも目を向けてらっしゃいます。
例えば、熊野市の地域おこし協力隊の頃にしていた喫茶店も本業に支障が出ないように無理なく営業されています。良い距離感での地域や行政との関わり。そんなスタンスが単純に「いいな~」と思いました(笑)

だけど、そのような環境が初めから与えられていたわけではなく、私の住む地域とは種類は違えど地域の課題があり、それらと格闘しながら日々を過ごされているんだなとも感じました。課題がありながらも、近藤さんは自分の地域に対して誇りを持っています。その姿を見て、自分も地域を訪れた方に自信を持ってお迎えできる環境と心構えを持ちたいなと思いました。課題ありきでいいんだ、未完成でいいんだと気持ちが少し楽になりました。

「お迎え」というと、地域の人は構えるかもしれませんが、何も大袈裟なことではありません。笑顔で迎えてあげたり、急な雨に傘を貸してくれたり、近藤さんの自然なおもてなしを受け、「これなら自分たちにもできるな~」って(笑)。

自分は農業の他に遊漁船のビジネスを始めようとしていますが、代々農業をする家庭に生まれて、他の事業に手を出していいのかという葛藤や不安がありました。だけど、近藤さんのライフスタイルを見て、「自分の進もうとしている考えは間違ってないんだ!」と思えました。

このインタビューの帰りの車中で妻の意見も聞きましたが、「私はあなたがやりたいことに協力するのが務めだと思っている」と心強い言葉をいただきました(笑)。こんな風に妻と一緒にいる機会も少ないのですが、積極的にメモを取ったり、質問する姿を見て、自分と違った視点で他の地域や物事を見るのも大切だなと感じました。

産物があるけど、それらの活かし方がわからないというのも地域の課題だと思います。熊野市と俵ケ浦半島は美味しいみかんという共通の産物があり、加工や流通に関して もとても参考になる話が聞けました。

近藤さんの果樹園「新鹿果物」で作っているジュース。小ロットで無理なく作る方法を選んでいたのが勉強になりました。

 

俵ケ浦半島では現在、様々なプロジェクトが動き出そうとしています。若手と言われる私でも戸惑いを感じる時がありますが(笑)、そんな時は今回学んだ「地域が楽しいことって何だ?「自分自身が楽しいって何だ?」という視点を思い出したいと感じました。

農業に限らず、仕事はしんどいことが多いじゃないですか。だからこそ、やっぱり自分が楽しいと思えることをしないと続かないんですよね。

近藤さんは、とてもナイスガイで爽やかでしたが、私たちの知らないところですごく勉強 や努力をされていることもわかりました。近々、飲食スペースを併設したゲストハウスを開設されるようですが、その時にまた行ってみたいなと思わせてくれたのは、きっと近藤さんのホスピタリティや熊野市の風景なのだと思います。

俵ケ浦半島も多くの人たちにそう思っていただけるように、自分もやれることから始めていきたいと思います。今回の経験を早くチーム俵に共有して、皆と力を合わせていきたい気持ちです!このような機会をいただき、本当にありがとうございました。

山口昭正さんから近藤久史さんへのインタビューはこちら

November 12 2019

「チーム俵」トレイル部 部長/農家・山口昭正さんが、「新鹿果物」代表(三重県熊野市)・近藤久史さんに聞く、「持続可能な生業のつくり方」

佐世保市・俵ヶ浦半島で農家として働きながら、地元の若手メンバーによって結成された「チーム俵」でトレイル部の部長を務めるなど、地域活動にも積極的に参加してきた山口昭正さん。両親が営んできた農業を自らの生業に選び、さまざまな問題意識や悩みを抱えながら、新たな挑戦を始めようとしている山口さんが、三重県熊野市の新鹿町で果樹園(新鹿果物)を営む近藤久史さんのもとを訪ねました。地域おこし協力隊としてこの地に移り住み、現在はみかん農家の他にSUPインストラクターとしての顔も持ち、さらにゲストハウスの運営もスタートさせようとしている近藤さんに、同業者である山口さんが、持続可能な生業のつくり方や、地域活動へのスタンスなどについて話を聞きました。

Q.近藤さんは、地域おこし協力隊として新鹿町に来られたそうですが、なぜこの地域を選ばれたのかを教えてください。

近藤:海がそばにあったことと、実家からの距離が近かったというのが大きな理由です。もともと、オーストラリアや東南アジアなどにサーフィンをしに行くくらい海が好きで、以前に東京で働いていた頃も神奈川県の鵠沼海岸に住み、波乗りをしてから有楽町の職場に通っていました。だから、自分にとっては日常の中でサーフィンなどができる環境というのが何よりも大切だったんです。

インタビューは、近藤さんの果樹園を臨む場所で和やかに行われました。左から、近藤久史さん、山口昭正さん、山口郁さん、近藤明美さん。

 

Q. そうなんですね。私が住んでいる俵ヶ浦半島にも朝釣りをしてから、佐世保市内の造船所に勤めている人がいます。

近藤:当初は移住先として沖縄なども視野に入れていたんです。一方で、住まいが実家から近いというのは何かと便利なんですよね。ここに来る前は、妻の実家がある三重県の伊賀で農業をしていて、僕も同じ三重の津出身なのですが、いまも地元でイベントをしたりしていて、色々なつながりがあるんです。そういう意味では伊賀もとても良いところでしたし、有機農業も盛んな場所だったので色々な学びもありました。ただ、いかんせん近くに海がなくて(笑)。いま振り返ると、自分の人生の中で最も海から離れていた時期だったかもしれないですね。

近藤さんは、定期的に地元・津をはじめ、各地のイベントに出店している。

 

Q. 新鹿に移住をして、果樹園を営むようになるまでにはどんな経緯があったのですか?

近藤:当初はみかん農家になろうとは特に考えていませんでした。ただ、もともと農業をしていたので、新鹿で農家になるならこの地に適したものを育てたいという思いは漠然とあって、そのひとつとして柑橘類というのがあったんですね。もともとこの果樹園は、80歳を超える地元の農家さんのものだったのですが、最初にみかん畑をやってみないかと言われて連れてこられた時に、この景色にとても感動したんです。また、かつてこの辺りにも段々畑でみかんを育てていた農家さんがたくさんいたのですが、作業効率の悪さなどからどんどん辞めてしまい、いまではこの果樹園を残すだけでした。この素晴らしいみかん畑は未来に残す価値があると思ったし、その農家さんもとても良い方だったので、自分がここを引き継ごうと決心したんです。

近藤さんが感動したという、果樹園からの景色。

 

Q .うちは両親も農家なのですが、この畑を守っていきたいという思いは、私が農業をしている動機のひとつになっています。土地の歴史などを知れば知るほど、そう簡単にやめるわけにはいかなくなるんですよね。一方で、農業は自然災害などで作物が収穫できない時などもありますし、専業で取り組むのは非常に厳しい仕事でもあると感じています。そうした理想と現実のギャップを埋めて、収入的にもメンタル的にも安定させるために、農業以外の仕事も持っておきたいという思いがあり、遊漁船の営業を始めようかと考えているところです。近藤さんは新鹿に来て、農業の他にSUPのインストラクターなどもされているそうですが、農業とそれ以外の仕事のバランスはどのように考えているのですか?

近藤:仰るように農業という仕事はとても難しいところがあるし、ビジネスとして考えると効率は非常に悪いですよね。ただ、それらとは比べられない魅力もある仕事で、僕が農業を好きな理由のひとつは、周囲の人間関係などに左右されず、自然と向き合う中で自分の軸が持てるところなんです。やはり自分としては、みかん農家を軸に生きていきたいという思いが強く、この畑を残すためにSUPなどの仕事を通して現金をしっかり得ていこうと考えていますし、常に複数の財布が持てるように意識しています。今後その財布が増えすぎてしまったらどうなるんだろうという心配も若干ありますが(笑)。

近藤さんがSUPのフィールドにしている新鹿海水浴場。この日もSUPをする人がチラホラ。

 

Q. これからゲストハウスの運営もされるそうですね。

近藤:はい。そのために物件を購入したのですが、2階をゲストハウスとして通年で営業し、1階は夏季限定で飲食営業をしようと考えています。熊野に来てすぐに別の場所で民泊をしたことがあるのですが、ゲストハウスというのは極端な話、チェックインの時に「ハロー」と言ったら、あとはチェックアウトの時に「グッバイ」と言えば良くて、意外と手間がかからなないんです(笑)。これからは宿泊客をSUPにも誘導したいと思っているのですが、どちらもみかんをつくるよりははるかに効率が良いんですよね。非効率だけど自分が好きな農業を生業にしているからこそ、効率の良いビジネスを並行させることでバランスを取っていきたいと考えています。今後は収入的に農業よりも観光業が上回る可能性もあるかもしれませんが、自分の気持ちの軸は常に農業に置いておきたいと思っています。

近藤さんが購入し、現在改装中の物件。道を挟んだすぐ目の前に海水浴場が広がるという最高の立地。

Q. 巷では六次産業ということも言われていますが、サービス業との組み合わせはますます大切になってくると感じています。その時に、この新鹿町や私が暮らす俵ヶ浦半島というのは、勝負がしやすい環境にありますよね。実は、以前に農業と並行して福祉関連の事業をやっていた時期があったのですが、自分たちの見通しが甘かったこともあり、続けていくうちに心労ばかりが溜まってしまい、結局上手くいきませんでした。だからこそ今回は、自分の趣味でもあった釣りを仕事につなげられないかと考えたんです。

近藤:複数の仕事を持つ時には、そうしたモチベーションも大切ですよね。農業は魅力的な仕事ですが、リスクも大きいからこそ、何かをきっかけに簡単に嫌いになってしまう仕事でもあると思うんですね。実際に伊賀にいる時に有機農業推進協議会の事務局を担当したことがあり、そこで農家を辞めてしまった人たちの話もたくさん聞きました。だからこそ、農業を嫌いにならないように他の仕事でバランスを取ることが大事だと思うし、僕の場合はそれをもともと好きだった海でやっているんです。また、農業に関しても、各地のイベントに積極的に足を運んで直接お客さんとコミュニケーションを取ることがモチベーションになるし、日々の農作業についても、かつてサーフィンをしによく行っていたインドネシアの雰囲気を少しでも思い出すために、畑にバナナの木を植えてテンションを上げていたりするんです(笑)。

半島での農業の話をする山口さん。

Q. 農業以外の事業を並行していくためには、当然その分の時間をつくらないといけないわけですが、仕事をうまく回していくために工夫していることがあれば教えてください。

近藤:まずは先ほど少し話したように、あまり手間がかからない仕事を選んでいるという前提がありますが、もうひとつ僕の場合は、季節によって仕事を分けているところがあります。みかん農家の繁忙期は11月から4月までで、夏場の主な仕事は草刈りなどになるので、空き時間にコツコツやればなんとか対応できるんです。また、ゲストハウスに関しては、宿泊客を1組限定にするつもりです。というのも、例えば宿泊料金を均一で15,000円にしておくと、4、5人で使えばゲストハウスの相場程度の金額になりますし、逆に余裕がある人は1、2人でも貸し切りにしますよね。要は、確実に15,000円以上収入が得られるということがわかっていれば、こちらとしても農作業を中断して対応する価値があると。少しいやらしい考え方ですが(笑)、自分の行動の値段を決めるということですよね。安定した収入を得ることが副業の目的なので、その辺はシビアにやらないと難しいですよね。

Q. SUPの方はどのような形で運営しているのですか?

近藤:SUP体験は一人6,400円で、登録しているレジャー・アウトドア体験の予約サイトから申し込まれる方が多いです。このサイトには、ユーザーが日時を指定できる「予約制」と、サービス提供者にスケジュールの確認確認が必要になる「リクエスト制」があり、サイトの運営サイドには、なるべく即予約OKにしてほしいと言われるのですが、僕は農家をしているのでそちらの状況次第で対応できるかどうかを判断できるようにしています。また、普段から波の状態などを見られる場所で働いているということも大きくて、もしこれが畑から離れた場所まで行かないとサービスが提供できないという形だったら、負担的にもかなり厳しいだろうなと。

Q. 時間のやりくりが大きな課題だと思っていたので、とても勉強になります。今後遊漁船をやるとしたら、仕事をしない夜の時間帯に、夜釣り用に船を出すのが良いかなと考えています。もしかしたら、朝夜2便出すということも考えられるのかもしれないですが、その辺はある程度慣れてきてからかなと。

近藤:その方が良いと思います。僕も当初はSUPを1日3ラウンドやっていて、お客さんはたくさん来てくれるのですが、炎天下で3回同じ説明をして同じコースに出ると、さすがに草刈りをする体力が残らないので(笑)、いまは最大でも2ラウンドまでにしています。あと、仕事の他にも本を読んだり、映画を観たり、やりたいことはたくさんあるので、いかに時間を効率良く使えるかということは常に考えますね。例えば、農薬散布など時間がかかる作業がある時には、SUPの時間から逆算して朝4時くらいから作業を始めるなどしています。そういう日はさすがに午後にはフラフラですが(笑)。

新鹿海水浴場は波が穏やかなのでSUPには最適。

Q.私たちは、俵ヶ浦半島の地域おこしを目的にした「チーム俵」という若手のグループをつくって活動しているんですね。一方、半島には僕らよりも年上の方たちを中心とした町内会的な存在もあり、世代の異なるグループ同士がいかに良い関係性を築けるかということが大切だと感じています。近藤さんは、こうした地域との関係づくりという点では、どんなことを意識していますか?

近藤:僕は地域おこし協力隊として移住してきたので、当初は新鹿のことを知りたいという思いが強く、地域にかなり深く入っていきましたが、協力隊の任期を終えたいまは、適度な距離感というものを意識しています。僕も青年団などに入っているのですが、いまは地域活動よりも自分がやっていることをしっかり表現することを優先したいので、忙しい時は休みますと気兼ねなく言えるようなスタンスを取っています。何者かもよくわからない人間としてではなく、みかん農家やゲストハウスを運営している近藤久史として、地域の活動に関わっていきたいという思いがあるんです。まずは自分のバックグラウンドがあった上で、力になれそうな地域活動には関わりたいですが、完全なボランティアとして地域に関わるというのは継続性が生まれにくいですし、少し違うかなと思っているところがあります。

Q. 非常によくわかります。とはいえ、どんなに仕事が忙しくても、立場上出ていかないといけない地域の活動などもあり、その辺はなかなか悩ましいところです(笑)。私たちの地域でもボランティアで草刈りをしていたところがあったのですが、高齢化が進むにつれて参加できる人が少なくなり、継続が難しくなりました。そういう作業は行政にお願いするか、あるいは自分たち「チーム俵」の事業として受けていけないかと考えています。

近藤:僕はお神輿が好きで、移住してきた時に地域の人たちと深くつながるひとつのきっかけにもなったのですが、この辺りでも同じように高齢化が進み、最近は担ぎ手不足という課題があるんですね。それを解決するための自分なりのアイデアというのを実は持っているのですが、自分がもう少し新鹿で継続的に事業を営み、近隣の人たちから信頼が得られた段階で、改めて地域に対して提案ができるようになるといいなと思っています。

山口さんの奥さん、郁さんもインタビューに参加しました。

Q.地域の中での発言力を高めたいという思いがあるのですね。最後に、行政との関わり方に関して、何か意識していることがあれば聞かせてください。

近藤:最近は行政の方が相談に来てくれる機会も多く、もちろん協力できることはしたいのですが、一方で自分がやりたいこともあるのでお断りすることも少なくありません。仲が悪いわけではないのですが、いまは協力隊ではなく、個人事業主として動いていることもあって、自分がワクワクできないことや未来が見えないことには参加しないようにしています。もちろん、自分が住み続けていく地域にはより良くなってほしいのですが、最近は移住者を募るための成功事例として扱われるようなことも多く、それはちょっと違うかなと。僕は成功しているわけでも余裕があるわけでもなく、いままさに挑戦中なんです。これからの地域活性というのは、そこでしっかりとお金が循環し、新しい仕事が生まれるようなものにしていくべきだし、関わる人たち全員に意味があるような関係性を、地域と築いていきたいですね。

「半島農家・山口昭正さんの熊野(三重県)訪問記」はこちら

 

プロフィール

インタビューされた人
近藤久史さん 「新鹿果物」代表 / 三重県熊野市

三重県津市生まれ。オーストラリアに4年間留学し、“海のある暮らし”を経験したのち地元津市に戻る。有機農業の研修を受けながら、2012年から仲間と地元を盛り上げるため「久居げんき会」を結成。現在も続く「グリーンフェスティバル(久居まつり」」に実行委員長として携わる。津市は内陸で海がないため“海のある暮らし“を求め、2015年に熊野市へ移住。地域おこし協力隊時代に後継者がいない果樹園を引き継ぐ。「人と人、食卓と地域をツナゲル」をコンセプトに農業×観光業を営む。果樹園経営のほかに大好きな海を活用したSUP体験や集落案内といった「アウトドア体験サービス」も提供中。農産物を活用した海のみえるcafe&guesthouseの開設も進めている。
https://newdeer.jimdo.com/

インタビューした人
山口昭正さん 「チーム俵」部長、農家

長崎県佐世保市生まれ。大学卒業後、佐世保市のスポーツ用品店に就職、30歳で家業を継ぎ就農。俵ヶ浦半島は、昔から半農半漁で暮らしてきた地域で、海が凪ぎで潮の良い日には漁に出て磯で獲れるウニや天然牡蠣も家計を支えている。子供たちが「ここに帰ってきたい」と思えるような暮らしをどうやって作っていけばよいのか、半島だからこそ実現できる暮らしを模索中。資格を取得して遊漁船業にも挑戦する。

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