俵ヶ浦半島の魅力発信!!|チーム俵

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March 27 2020

俵ヶ浦半島で培われてきたまちづくりの歴史

俵ヶ浦半島で培われてきたまちづくりの歴史。
一般社団法人チーム俵が中心となって取り組んでいる俵ヶ浦半島活性化プロジェクト。平成28年度に俵ヶ浦半島未来計画をつくってから、さまざまな課題を目の前に、地域の方々と一緒に試行錯誤しながら活動しています。

この俵ヶ浦半島のまちづくりはいまに始まったことではありません。俵ヶ浦半島未来計画づくりのきっかけにもなった俵ヶ浦半島トレイル、さらに前には半島地域を盛り上げようと始まったウォーキングイベント、そして半島キッチン ツッテホッテの前身である展海峰ふれあい工房の立ち上げ、地域の課題に関する行政への要望活動など、俵ヶ浦半島の町内会のみんなが俵ヶ浦半島開発協議会を組織し、一丸となって取り組んできました。

今回、俵ヶ浦半島開発協議会で長年会長を務められ、現在は一般社団法人チーム俵の代表理事でもある尾﨑嘉弘さんに、これまでの俵ヶ浦半島のまちづくりについて話を伺いました。

これまで長きに渡り俵ヶ浦半島のまちづくりを支えてきた尾﨑嘉弘さん。

 

■俵ヶ浦半島の生活環境の向上を目指して、俵ヶ浦半島開発協議会を立ち上げ。

今年76歳となる尾﨑さんは生まれも育ちも下船越町。昔の俵ヶ浦半島は今のように車が十分に通れる道路があるわけではなく、ほとんど農道と似たような状況だったそうです。下船越町にはかつて炭鉱があり、長屋も建ち並んで多くの人が住んでいたそうですが、閉山後は人口減少が続きます。他の3町も農業や漁業などの生業を中心とした集落で、その当時は半島一帯でまちづくりを、という雰囲気はまだなかったそうです。

きっかけは、野崎町に整備されることになった障害者福祉施設「長崎県立コロニー」です(コロニーは民営化によりつくも苑となり、その後閉所。現在、跡地は観光公園の整備が進む)。当時、半島には上水道は整備されておらず、井戸水を汲んで暮らしていました。生活に欠かせない道路や水道といった社会インフラが十分に整っていないなか、俵ヶ浦半島の町内会が集まり、昭和46年に「俵ヶ浦半島開発協議会」を結成。住民の意見を吸い上げ、行政に陳情・要望を行う活動が始まりました。そのような活動の成果もあり、県立コロニーの建設をきっかけに半島内にも上水道が整備されることになったのです。

現在も俵ヶ浦半島開発協議会は要望活動などを継続。チーム俵とも月に1回のネットワーク会議を行い、半島内の意見調整などを担っています。

俵ヶ浦半島開発協議会の4町内会長とチーム俵で情報共有を行うネットワーク会議を毎月開催。

 

■地域の活性化に向け、展海峰ふれあい工房がオープン。

半島のまちづくりを語る上で欠かせないのが「展海峰ふれあい工房」。半島キッチンツッテホッテの前身となる場所です。平成11年頃から、庵浦町では折り紙陶芸(粘土と和紙を積層にして出来た陶芸紙を、折り紙のように折って造形し、焼成する焼物)を作る活動が始まっていました。元々は庵浦町公民館が中心となり取り組まれていましたが、俵ヶ浦町にも適した粘土があり、地元の特産品のひとつとして売り出してはどうか、という機運が高まります。

俵ヶ浦半島開発協議会では、展海峰を管理する佐世保市と交渉、平成13年に展海峰の一角に「展海峰ふれあい工房」をオープンします。陶芸紙の製造や折り紙陶芸の作品の販売だけでなく、地域の生産者が野菜や漬物などを販売する店舗として運営を始めることになりました。そして、年に数回しか集まることがなかった協議会も、当時の会長を中心に、半島を盛り上げよう、と声をかけてふれあい工房に集まるようになったそうです。

俵ヶ浦開発協議会の皆さんの手で運営されていた「展海峰ふれあい工房」。

 

■地域の親睦会から始まったウォーキングイベントは、半島の魅力発信の場へ。

展海峰ふれあい工房は、各町内会の皆さんが交代で店番に立たれていましたが、十分な売り上げを確保するのは難しかったとのこと。そこで協議会では、展海峰の名物となっていた「菜の花」「コスモス」にちなんで、「展海峰菜の花ウォーク」と「展海峰コスモスウォーク」のイベントを開催。各町内会からおでんや焼きそば、押し寿司などのお店を出店し、その売上の一部をふれあい工房の運営資金に充てるようにしました。

平成14年に始まったウォーキングイベントですが、当初はあくまで半島4町内会の親睦会として開催したそうです。しかし、俵ヶ浦半島の美しい風景を味わえるウォーキングコースは人気で、次第に話題を呼び、佐世保市のフリーペーパー「ライフさせぼ」に紹介されたり、周辺の町内会にもチラシを配るなど、俵ヶ浦半島の名物イベントとして広がっていきました。

展海峰菜の花ウォークの開会式で挨拶される尾﨑さん(当時俵ヶ浦半島開発協議会会長)。

 

その後、つくも苑の移転問題が浮上。つくも苑に勤めている地域住民も多く、半島内の働き場所の喪失にも繋がってしまうため、協議会は現地建替に向けて幾度となく話し合いや要望活動を行ってきました。残念ながらそれは叶いませんでしたが、跡地には現在観光公園の整備が行われており、新たな賑わいの場として期待されます。

平成25年からは各町での俵ヶ浦半島トレイルづくり、平成28年は俵ヶ浦半島未来計画策定、そして若手メンバーが中心となったチーム俵の新しい取り組みへと繋がっていくことになります。

「トレイルの案内標識づくりや計画づくりのワークショップとか、ああいう話し合いはしたことなかったですし、みんなも楽しいと言いよったですね。ただ、計画を作るのは良くても実行はなかなか(難しい)。チーム俵の若手が頑張ってくれているので、成果が出るのが待ち遠しいですね。なにしろ(チーム俵の)部長たちにはもう少し頑張ってもらわんと。まぁ、いっぺんには何事もうまく行かんので、ボチボチ続けていくことが大事ですもんね。」
と尾﨑さん。

俵ヶ浦半島開発協議会が立ち上がって約50年、尾﨑さんが協議会の会長を務めたのはそのうち10年!チーム俵はやっと3年目を迎えます。課題はたくさんありますが、尾﨑さんが言うように、息の長い取り組みを目指して俵ヶ浦半島のまちづくりに取り組んでいきたいと思います!

March 24 2020

「高千穂ムラたび」代表・飯干淳志さんが、「チーム俵」部長たちに問う、「半島の未来に必要なこと」

「高千穂ムラたび」代表・飯干淳志さんが、「チーム俵」部長たちに問う、「半島の未来に必要なこと」
2016年度より、官民連携で取り組んできた俵ヶ浦半島の活性化プロジェクトでは、住民参加型のワークショップなどを経て策定された半島未来計画のもと、一般社団法人チーム俵のメンバーが中心となり、さまざまな取り組みを続けてきました。「半島Meets…」の最終回となる今回は、以前にチーム俵が視察に訪れたこともある宮崎県高千穂町の限界集落「秋元」を拠点に、「民宿まろうど」「まろうど酒造」「ムラたび農園」の3つの事業を軸にコミュニティビジネスに携わる「高千穂ムラたび」代表・飯干淳志さんをインタビュアーに迎え、これまでの活動を振り返り、改めて半島の未来について考えるために、チーム俵の4名の部長、山口昭正さん、森宗幸彦さん、中里竜也さん、山田信一郎さんが集まりました。

Q. 俵ヶ浦半島では2016年に半島未来計画を策定し、その実行組織として「チーム俵」が立ち上げられたと聞いています。計画というのは実行に移す過程でうまくいかないこともたくさん出てきますし、その中で色々な気付きもあったかと思いますが、まずはそれぞれがここまでの活動を振り返って感じていることを聞かせてもらえますか?

右奥が今回インタビュアーを務めてくれた「高千穂ムラたび」代表の飯干敦志さん。

山口:僕はチーム俵「トレイル部」の部長として、トレイルコースの整備のために県道の草刈りをしたり、ウォーキングイベントの企画・運営、展海峰にある売店「ツッテホッテ」の眺望を確保するための木の伐採などの活動に取り組んできましたが、地域のみなさんに協力してもらうことの難しさを感じました。中には大変な作業もあったのですが、なるべく地域の方たちに悪いイメージを与えずに参加を呼びかけることを心がけてきました。

チーム俵「トレイル部」部長の山口昭正さん。

中里:僕は2018年にオープンした「ツッテホッテ」の店長をしてきましたが、「ご当地部」の部長というチーム俵での役割以上に、ひとりの経営者としていかに利益を上げるかということをずっと考えていて、いまもその難しさに直面している最中です。ただ儲ければ良いという話ではなく、ちゃんと雇用をつくって地域に貢献しなければ本末転倒になってしまうのですが、他の人に負担をかけるのであれば自分で全部やってしまった方がいいと考えていたところがあり、いま振り返ると悪循環になっていたのかなと感じています。

「ご当地部」部長の中里竜也さん。

今回のインタビュー会場にもなった「ツッテホッテ」。

森宗:学校部では、2016年~2017年に野崎中、俵浦小、庵浦小という3つの小中学校が閉校したことを受け、これらの利活用が大きなテーマになっていました。地域のフラッグシップである学校がなくなってしまう中、子どもたちと地域の接点をいかにつくるかを考え、廃校になった体育館を開放し、地域の方たちに子どもたちの勉強や遊びを見てもらう「放課後子ども教室」などを実施してきました。ただ、廃校というのは一校丸ごと活用するのが色々と大変で、個人事業の規模ではほぼ不可能だと感じています。かといって、建物というのは人の手が入らなくなるとすぐに朽ちてしまいます。すでに建物自体が限界に近づいていて、かなり厳しい状況に追い込まれている施設もあります。

「学校部」部長の森宗幸彦さん。

俵ヶ浦半島にある廃校のひとつ、庵浦小学校。

山田:私は、空き家を活用した移住・定住・起業支援に取り組む「住まい部」の部長を務めてきましたが、俵ヶ浦半島はすべての地域が市街化調整区域に指定され、空き家活用における規制も多いため、まだ思うような成果は生まれていません。また、私はお寺の副住職として宗教法人の運営に十数年携わってきたのですが、「坊主丸儲け」などと揶揄されるようなお寺のイメージとはかけ離れた法的手続きや資料作成、経費管理など煩雑な作業を通して、法人運営の大変さを身を持って感じてきました。そうした経験があったので、形は違えど2018年にチーム俵を法人化する際には不安がありましたし、実際にクリアしなければいけないハードルがたくさんあるといまも感じています。

「住まい部」部長の山田信一郎さん。

Q.チーム俵の各部の連携についてはいかがですか?

森宗:トレイル部がトレイルコースに休憩スポットをつくるためにベンチづくりをしたのですが、その時に廃校の工作室を開放するなどの連携はこれまでもありました。

半島の木材を使ったベンチづくりの様子。

Q. この地域には以前から木工の文化はあるのですか?

森宗:竹の文化はありますが、木工に関してはないと思います。

Q. 地域で何かをする時には、もともとある文化や資源を生かしていくことが大切です。そういう意味では、廃校活用にしても海産物の養殖などは良いかもしれません。廃校活用の事例として、体育館などを使った養殖は結構ありますし、仮に漁業権がなくても、海水を学校に引き込み、養殖ができる環境をつくれれば誰にも文句も言われないはずです。そうしてつくった海産物をツッテホッテなどで提供することなどができれば、連携も強まるのではないでしょうか。

山口:チーム俵では、ツッテホッテという場所を事業計画の中枢に据えているので、トレイル部の取り組みにしても、トレイルに来てくれた人たちにいかにツッテホッテの存在を伝え、お店の売上につなげていけるのかということを考え、イベントなども企画してきました。ツッテホッテは直売所機能もあり、半島で農業を営んでいる人が商品を納められるので、ここに多くの人が来てお金を落としてくれることは地域への貢献にもつながると思っています。

ツッテホッテには、半島の農家さんが育てた作物などの直売コーナーもある。

中里:ツッテホッテをオープンするまでは各部が独立して活動している感じがあったのですが、お店ができてからは連携が増え、やっと繋がり始めた感覚があります。一方で、各部それぞれが収益を生む事業をするべきではないかという考えも自分の中にはあります。みんながツッテホッテにつなげてくれるのはありがたいですが、この場所を情報発信基地として活用してもらい、それこそトレイル部のウォーキングイベントなども単体で収益が上がる事業にしていけるのがベストだと思っています。

多くの人たちが訪れる俵ヶ浦半島のウォーキングイベントは、年に2回行われている。

Q.イベントは労力も非常にかかるものですよね。山口さんは、もし仮にウォーキングイベントをあと10年続けてくれと言われたらどうですか?

山口:正直荷は重いですね(笑)。これまでのイベントについても運営面に労力が割かれてしまい、来てくれるお客さんを楽しませるというところまでできていないと感じています。それなら、運営は外部の事業者に委託してしまい、僕たち地元の人間は来場者を楽しませる役割に専念した方がいいのではないかという気もしています。

Q.イベントをきっかけにファンをつくるというのは地域づくりの初期段階では大切なことですが、継続はなかなか大変です。理想は、イベントを開催しなくても多くの人がウォーキングに訪れてくれることで、そうした状況をつくっていくことが次のステップだと思いますし、今後はSNSなどを活用して地域の魅力を発信していくということも必要になってくるはずです。

Q. 地域の魅力を発信していく上では、誰に何を伝えるのかということも重要です。例えば、半島のトレイルコースをより多くの人に歩いてもらうためには、どんな人たちに訴求していくべきだと思いますか?

森宗:定年退職をしたばかりの人とかですかね。時間にも余裕があるでしょうし、健康への意識も高いはずなので、ウォーキングをしたいという人は多いはずです。

畑の間も通る半島ならではのトレイルコース。

Q. 間違ってはいませんが、先ほどあった「収益化」につながるような「歩く人」を探すべきです。人を呼び込むという時に、佐世保をはじめ近郊の人たちをイメージしがちかもしれませんが、外に目を向けてみると、ヨーロッパの人たちなどは良いターゲットだと思います。彼らはあまり知られていないような場所に行くことを好みますし、ヨーロッパでは1日に3時間以上歩きたいと思っている人がおよそ3割もいるというデータもあります。また、ヨーロッパの人たちはあちこちへ移動する日本人とは違い、ひとつの拠点にとどまり、料理などをしながら滞在を楽しむ旅行スタイルが主流です。そういう人たちがここに来れば当然さまざまな消費行動が起こるわけで、それこそ宿坊体験のようなことができたら絶対に彼らは喜ぶはずです。こういうことを考えていくことがマーケティングであり、そこで大切になるのは、同じ文化の中で暮らしてきた人たち同士で顔を突き合わせるだけではなく、外に目を向けていくことだと思います。

山田:半島未来計画の策定にあたって私たちは、「知ってもらう」「来てもらう」「滞在してもらう」「住んでもらう」という4つのステップを考えました。ただ、イベントなどで「来てもらう」ことまではできても、その先の「滞在してもらう」ための場がなかなか用意できていませんでした。何かを踏み出さないといけないと思っていたのですが、ここにきて山口くんが農泊ができる場所づくりに動き始めてくれています。移住・定住までの道はなかなか険しいと思いますが、まずは次のステップに進んでいきたいですね。

山口:半島でも耕作放棄地が増えているのですが、日本全体の人口が減っている中で、いままでと同じように仕事に取り組んでいくことは難しいだろうし、いかに農業に付加価値をつけていけるかがカギだと思っています。そのひとつのやり方が農泊だと思っているのですが、これは以前に飯干さんのところに視察に伺ったことが大きなヒントになっています。宿泊して食事もしてもらうことができれば、こちらも農作物や生産者のことなどを伝えられるし、こうしたやり方が俵ヶ浦半島には向いているのかなと。

農泊ができる施設づくりを山口さんが中心となって進めている。

Q. 移住者の受け入れというゴールがあるなら、その前のステップとしていま山口さんが取り組んでいることにみんなで追随すればいいと思います。ツッテホッテや農泊など自分たちの軸になるものを発展させることで、チーム俵以外の地域の人たちとの協調性も生まれてくれば、動きはさらに加速するはずです。そうした良い循環をつくっていくことで地域社会全体が豊かになるはずですし、この地域が好きになり、移住しようと思う人もでてくるかもしれません。

Q.俵ヶ浦半島は美味しいお魚が穫れるにもかかわらず、それを食べられる場所がほとんどありませんよね。例えば、漁師さんに協力してもらい、この辺で穫れる魚で炙り揚げをつくってツッテホッテで提供したら、それが名物になるかもしれないし、漁師さんにとっても直接お客さんの反応が見られる貴重な機会になるかもしれない。そうしたことを色々試していく中で事業にもっと幅が出てくるのだと思います。

中里:色々とアイデアがあったとしても、それを実行するためには資金が必要で、そこが僕らの足かせになっているところがあります。ツッテホッテも経営が決して順調ではない中で、新しいチャレンジをするのはなかなかハードルが高いというのが正直なところです。

森宗:色々なところに視察に行く度に凄いなとは思うけど、自分たちの生活もある中で、はたして借金してまでそれをやるのかと言われると、なかなか難しいところがあるよね。

Q. 大がかりな取り組みを見ると腰が引けてしまうかもしれませんが、中には工夫してコストをかけずにやっている人たちもいます。いきなり一発当てようとするのではなく、一つひとつ積み上げて、徐々に資金力を蓄えていくという考え方が大切です。

中里:いま言われたような炙り揚げが人気商品になるようなこともあり得るとは思いますし、実際に漁師などのツテもあるのですが、石橋を叩いても渡れないような状況の中で行動する勇気というものが欲しいんです(笑)。

Q. 魚なんて売れるかわからないと想像だけで話していても何も変わりません。成功している事業というのはたくさんの失敗の上に築かれているもので、失敗が当たり前くらいの気持ちが持つことが勇気につながるはずです。一度やってみた経験というのは成功、失敗に関わらず必ず実になりますし、人の力に頼らず、まずはやってみることに価値があるんです。

中里:飯干さんは近所の人たちが育てたお米を買い取ってつくったどぶろくや甘酒を全国に展開していますが、始めるにあたって勝算はあったのですか?

飯干さんが代表を務める「高千穂ムラたび」の酒造で手掛ける主力商品「ちほまろ」。甘酒を乳酸発酵させている。

Q.勝算があったというよりは、お客さんのニーズに合うものをつくっていったというのが正しいと思います。何かをしようと思った時にいきなり市場で売るのではなく、まずはテストをして色々な意見を聞くというのが事業の鉄則ですし、自分の思いだけで形にしたものは商品にはなりません。また、最初から村人の米を買い取っていたわけではなく、自分の田んぼ2~3反からスタートし、販売量が増えていく中で隣の田んぼのお米を買い、それが村全体に広がっていったんです。繰り返しになりますが、少しずつ積み上げていくことが何よりも大切なんです。

山口:まずはひとつつくって動いてみるということなんですね。そこで良い結果が得られれば、周囲に自分もやってみようという人が出てくるかもしれない。

中里:飯干さんを行動に掻き立てるモチベーションは何なのですか?

Q. 次の時代の農村社会をつくるために何ができるのかということです。地域づくりなどもそうですが、何のためにそれをやるのかということが自分の中で明確になっていないと、結局つらいだけになってしまうんですよね。チーム俵にしても、何のためにこの組織をつくったのかということを改めて見つめ直してみる必要があると思うし、それが明確になれば、目的に到達するために何が必要なのか、みんなでアイデアを出し合うことができますよね。小さなことからでもまずはそれをやってみることで学べることがたくさんあるはずだし、それを積み重ねていくことが地域への貢献になり、次世代にもつながっていくのだと思っています。

プロフィール
インタビューされた人
チーム俵
俵ヶ浦半島未来計画を実行に移していくため、2017年4月に半島のまちづくり組織として発足した「チーム俵」。2018年4月には法人化し、「ご当地部」「トレイル部」「住まい部」「学校部」「宣伝部」5つの部活(プロジェクトチーム)をスタート。半島に暮らす山口昭正さん、森宗幸彦さん、中里竜也さん、山田信一郎さんらが理事として各部の部長を務める。2017年から3年間は佐世保市による重点支援期間であり、市や地域外の専門家チームがサポートしていたが、今後は部長たち自らが活動をリードしていく予定。

インタビューした人
飯干敦志(「高千穂ムラたび」代表)
54歳で高千穂町役場を早期退職し、「持続可能な村づくり」に取り組む。宮崎県高千穂町の40世帯、人口100人の秋元集落で、UIターンの若者たちと共に民宿やドブロクづくり、花卉や夏イチゴの栽培、イチゴやお茶の加工品製造販売などを営む。高千穂町観光協会と連携して高千穂ムラたび活性化協議会を運営。スピリチュアルや大自然、伝統文化などを組み合わせながら農村に新たな価値を創造するビジネスを手掛けている。

March 10 2020

俵ヶ浦半島・庵浦町に今も大切に根づく美しき教え

俵ヶ浦半島・庵浦町に今も大切に根づく美しき教え

■ 庵浦町の歴史・文化を巡る「庵浦町 お遍路トレイル」

俵ヶ浦半島の東部、佐世保湾側の入り江に位置する庵浦町。ここには、佐世保の日宇新四国八十八ヶ所(お遍路さん)の札所も多く、「庵浦町お遍路トレイル(PDF)」を巡るとその歴史や信仰にも触れることができます。

「庵浦町お遍路トレイル」は俵ヶ浦半島トレイルコースの2本目のコースとして2014年に誕生。地域の皆さんが作ったコースは、六道の辻にある弘法大師を祀る「御弘法さま」や「金刀毘羅さま」、九州二十四地蔵尊霊場の第14番札所でもある「六大寺」など、この地の歴史や文化、暮らしを感じるスポットを巡るコースです。

なかでも庵浦町民に長く親しまれ、大切に守られてきた象徴的な存在が、庵浦の中心集落にひっそりと佇む「御観音さま」。

町の中心集落に位置する「御観音さま」。日宇新四国八十八ヶ所の札所のひとつ。

ここ御観音さまでは、年に2回だけ、代々受け継がれている2枚の地獄絵が開帳され、地域の方々が家族と集まり、「心」を大切にする教えを伝えています。その御観音さまと地獄絵について、庵浦町の大谷政輝館長に話を伺いました。

 

■ 年に2回、御観音さまに飾られる「地獄絵」

毎年1月16日と8月16日、お観音様に2枚の地獄絵が飾られます。半年に一度のこれらの日は地獄の釜のふたが開く「閻魔縁日」とされ、地獄で死者を責める鬼たちも休みの日。御観音さまはいつ頃から祀られているのか、確かな文献はないそうですが、その昔、村に疫病が流行った時、亡くなられた方々の供養のために御観音さまが安置されたと伝えられています。隣に建立されたお地蔵様のところには、江戸後期の「文政4年」(1821年)と刻まれています。御観音さまや開帳される地獄絵も、同時期に伝わったのでは、とのこと。

飾られる地獄絵は、1枚は閻魔大王をはじめ10人の王が描かれた「十王図」で、もう1枚は「観心十界図」。

開帳時の御堂の様子。観音様を中心に、左が「観心十界図」、右が「十王図」。

「観心十界図」は、「心」の文字を中心に10の世界が描かれています。「心」の字の上に描かれたのが仏界で、そのほか天道、人道、畜生道、地獄道などの「十界」が並んでいます。「心」とは人の心で、「良いことをするのも悪いことをするのも自分の心次第。心のありようで次の生を受ける世界が決まる。」という意味が込められています。

 

■ 代々受け継がれる地獄絵の教え

年に2回の開帳の日。この日は庵浦町内の方々が集まり、供養のために御詠歌を唱えます。昔から親や祖父母に連れられて子供たちも一緒にお参りをしたそうで、お参りの際には子供たちに「嘘をついたり、人をいじめたり、悪いことをしたら地獄に行くよ……」と地獄絵のお話を。大谷館長も子供の頃に訪れたとき、この小さな御堂で見る地獄絵はとても怖かったそう。

地獄絵を前に庵浦町の歴史を話してくださった、大谷政輝・庵浦町公民館長。

こうした「心」を大切にする教えは、今もなお庵浦町で言い伝えられ、親から子へ、子から孫へと大切に受け継がれている、と大谷館長は話します。また、こうして教えを伝えることが、地域の老若男女の交流にもつながり、地域に対する想いを育んでいくことにもつながります。

地域の方々が教えとともに守り受け継ぐ2枚の地獄絵。次回開帳されるのは8月16日です。地獄絵の開帳に合わせて、「庵浦町 お遍路トレイル」を歩いてみてはいかがでしょうか。

御観音さまの前で庵浦町の皆さんと。

参考:
庵浦町公民館創立50周年記念誌(1999年)
長崎新聞「代々受け継ぐ 庵浦の『地獄絵』」(2016年8月21日)

February 21 2020

一般社団法人REPORT SASEBO中尾大樹さんの阿久根(鹿児島県)訪問記

中尾と申します。

俵ヶ浦半島に関わり始めて6年。ボランティアからスタートし、市役所の担当を経て、今やただのファン。そんな僕が(ある意味)半島を代表して働かせてもらう日が来るとは!光栄です。

今回のミッションは、今年度、半島振興の第1ステージが終わろうとしている中、今なお残る「どうやって地域の人を巻き込んでいくのか」というテーマについて、鹿児島県は、阿久根市で活動する石川秀和さんへのインタビューを通じて、学びを持ち帰るというもの。初めての阿久根、新たな出会いに半分期待、半分緊張しながら佐世保から4時間車を走らせました(同行した仲間が)。

阿久根の海は広い!


 

石川さんの印象は、「柔らかくも自信と覚悟を持った人」。
ゆかりもない阿久根に来たのは、ほぼなりゆきとのこと。にも関わらず、行政が動かしていた観光協会や道の駅をよそものである自らが主導し、株式会社にしてしまう(しかも、地元の企業に出資を募るというありえない手法で)など、常軌を逸したことを平然とやってのけてしまうパワーにまず圧倒されました。

一番左が石川さん、ひたすらメモをとる僕。(右から3番目)今回は視察も兼ねて佐世保から5人のメンバーで行きました。


 

その実行力やモチベーションの源泉は、当初、京都などでのリノベーション事業における商業的な成功体験や、社会課題解決に対するやりがいにあるのだろうと予想していました。それは半分正解で、半分間違い。インタビューを経た今、彼は、たぶん「場づくり」の面白さに取りつかれてしまった人なんだと感じています。(インタビュー参照)僕にも似た部分があって、公務員なのに、借金をしてカフェを作るなど、はたから見れば謎のリスクテイカーなのですが、僕は僕で、自分の居心地のよいと思う場所を作りたいだけなんだ、ということをインタビューしながら思い出しました(よく忘れます)。

石川さんがリノベーションを手がけた阿久根の物件をいろいろ案内してもらいました。ここはお肉屋さん。

老舗の醤油屋さんの直営店。

塩屋の倉庫をリノベーションしたゲストハウス。


 

石川さんにとっても、最初、佐世保から来た僕ら一行がなんなのかよくわからなかった(なぜなら半島で生活する当事者ではないから)と思うのですが、一通り、阿久根を案内していただいた後の飲みの席で、自分たちがやっていること(主に借金)を話してから、ある種の仲間、あるいは同じ道を行く先輩としてのまなざしで、色んなぶっちゃけ話、苦労話をしてくれて嬉しくなりました。

そして、「場づくり」と「稼ぐ」という、なかなか両立し難い胃が痛くなるような取組みに魅せられてしまった(ハマってしまった)のは、僕らだけではなく、チーム俵もそうだと思うのです。

夜は地元の方と交流会、阿久根は水産業が盛んということもあってみな水産関係!


 

石川さんから学んで持って帰りたい考え方の一つは、「切り分ける」ということ。ただでさえ、わかりにくく面倒な取り組みなのだから、場づくり/資金づくり、やりたいこと/やるべきこと、個人でやること/チームでやること、役所がやること/民間がやること、など頭を切り分けて整理しておくこと、またそれをチームで共有しておくことは、長期戦に楽しく取り組む上で、とても実用的な考え方だと思いました。
例えば、お金は、あらゆる活動を行う上で大きな力となってくれるものですが、非営利な活動に不用意にお金を持ちこむことで、関わる人々のモチベーションや人間関係を蝕むことがあります。僕も経験上あります。それは元々志を同じくして集まったチーム発足の経緯を考えれば、とてもつらいことです。これは、切り分けて整理するとよい!

また、「距離があるから繋がれる」ということ。地元のとても近いコミュニティの中では、逆に共有しにくいテーマもあったりします。そんな中、他地域に同じ気持ちや活動を行う仲間がいることは、ノウハウを共有したり、モチベーションを維持する上でとても意味があることです。石川さん、佐世保にも来てくれるってよ!

実は、僕以外のメンバーも石川さんにインタビューしました。写真は、東京から佐世保にIターンした五島さん。


 

地域をいきいきさせる手段として「観光」がもてはやされている時代です。半島やリポートの活動でももちろん意識しています。でも、今回改めて思ったのは、本当の意味で差別化できる観光資源なんてない、ということでした。阿久根の夕陽と九十九島の夕陽、誤解を恐れず言えば、あんま変わんない。でも、また阿久根に自分が行くだろうと思うのは、石川さんとその仲間たちとの出会いがあったから。そういう意味でも、色んな地域に色んな友達を増やしていくのは、楽しくて実利も兼ねた最高なことだなと感じました。
佐世保や半島もそんな人々が集まる「PORT=港」になればいいな、なっていくだろうと思います。がんばろうっと。

中尾大樹さんから石川秀和さんへのインタビューはこちら

February 21 2020

「一般社団法人REPORT SASEBO」代表・中尾大樹さんが、「まちの灯台 阿久根」代表(鹿児島県阿久根市)・石川秀和さんに聞く、「地域の仲間を巻き込む方法」

佐世保市俵ヶ浦半島の未来に向けて、住民参加のワークショップなどを経て2017年3月につくられた「半島未来計画」。今回インタビュアーとなる中尾大樹さんは、佐世保市役所の当時の担当者として、地域住民との関係性を築きながら、この計画づくりに尽力した人物です。その中尾さんがインタビューするのは、京都で古ビルのリノベーション事業などを手がける会社を経営した後、2015年に鹿児島県阿久根市に移住し、現在は観光連盟の機能を引き継ぐ形で2018年に新設された株式会社「まちの灯台阿久根」の代表を務めている石川秀和さんです。役所の担当者としての役目を終えた後も、一般社団法人REPORT SASEBO(以下、リポート)を立ち上げ、俵ヶ浦半島に継続的に関わっている中尾さんが、石川さんに聞きたいこととは?

Q. 佐世保にある俵ヶ浦半島は、自然豊かな九十九島の海と、米海軍や海上自衛隊が基地を置く佐世保港軍港としての海に挟まれ、佐世保のアイデンティティが現れているとても面白いエリアです。僕は市役所の職員として、半島の未来計画づくりに関わってきましたが、担当を外れたいまは、新たに立ち上げた法人、リポートのメンバーとともに、俵ヶ浦半島と佐世保の市街地という2つのエリアを活動のフィールドに据え、地域の魅力を発信していくような活動をしていきたいと考えています。活動を進めていくにあたって、仲間の巻き込み方や活動資金のつくり方という部分が課題になっているので、今日はその辺のお話を伺えればと思っています。まずは石川さんの阿久根での活動についてお聞かせ頂けますか?

石川:僕は現在、阿久根市の観光連盟の役割も兼ねたまちづくり会社「まちの灯台阿久根」の代表を務めています。一方、阿久根に来るまでは京都でリノベーションの仕事をしていたこともあり、リノベーションや建築を軸にした場づくりの仕事を依頼されることもあります。具体的な例を出すと、まちづくり会社では阿久根の道の駅の改修・運営などを行い、個人の仕事として、阿久根の水産加工会社が運営する施設「イワシビル」のプロデュースなどを手がけています。

インタビューはイワシビルの中にあるラウンジスペースで行いました。左から石川秀和さん、中尾大樹さん。

 

Q. 行政が建物を新しくつくったものの、蓋を開けてみたらあまり有効に活用されないというのはよく聞く話ですが、石川さんはリノベーションや場づくりの仕事で大切にしていることを教えてください。

石川:リノベーションで最も大切なのは、何のためにその場所が必要なのか、どんなことを達成したいのかということを、そこに関わる人たちみんなが共有することなんですね。例えば、先ほどご紹介したイワシビルは、阿久根で三代続く干物屋さんが新しくつくった施設なのですが、その背景には、それまであまり若い人たちに働きたいと思っていなかった干物屋を、プライドを持って働けるような仕事に変えたいという3代目の熱い思いがあり、それを叶える手段として1階にカフェとお土産屋、2階に工場、3階にホステルが入った”職場”をつくりました。僕はリノベーションというものをコミュニケーションツールのひとつだと考えているのですが、ポイントを間違えてしまうと、伝えたいことが届けたい相手に届かないということが起きてしまうと感じています。

古ビルを改装した「イワシビル」。

1階のカフェとお土産屋さん。

3階にあるホステルのラウンジスペース。

 

Q. コミュニケーションをする相手もかつていた京都と、いまの阿久根ではだいぶ異なるような気もします。

石川:京都の時は、クライアントやパートナーにクリエイティブ業界の人たちが多かったですが、阿久根では1次、2次産業の人たちとの関わりが多く、土地の価値をつくっている人、地域資源を抱えている人の対象が違うということは感じます。また、京都には観光関連のメディアもたくさんありましたが、阿久根にはそういうメディアはほとんどありません。そうした中で建築の仕事などでは、年数を重ねていくほど価値が高まるもの、芯の強いものをつくるということをこれまで以上に意識するようになりました。それによって東京の雑誌などがわざわざ阿久根まで取材に来てくれたりということが実際に起きていて、自分の仕事の説得力や信頼度が増すことで、地域に応援してくれる人が増えるという側面は少なからずありますね。

石川さんが京都でリノベーションを手がけたクリエイター向けの複合施設「つくるビル」。築50年、4F建てのビルにアトリエ・カフェ・ショップ・シェアスペース・オフィスなどが入る。

 

Q. まちの灯台阿久根では、地元の若い人たちが「ただいま」と帰ってきたくなるまちづくりというミッションを掲げていますが、具体的な未来の目標なども設定しているのですか?

石川:まず前提として、この会社を新たに立ち上げるにあたって、地域の企業などに株主になってもらうということにこだわったんですね。それによって覚悟を持って関わってくれる人を増やしたいという思いがあったし、僕自身は、自分のことをいつでもクビにしてもらっていいというスタンスで仕事をしています。いま自分が持っているリソースが10年後に通用するとも思っていないし、その頃にはいまと別の課題も出てきている可能性があるから、その時は誰かがこの立場を引き継ぐという前提で、代表をやらせてほしいという話は関わってくれているみなさんにしています。そして、ご質問の内容に戻ると、僕が代表を務めている間に、未来のまちを担う30代前後の若いキープレイヤーを10人くらいはつくりたいということが具体的な目標です。

 

Q.そこから先はまた次の世代が担っていくという考え方ですか?

石川:無責任かもしれませんが、そう思っています。若い人たちが地元に帰ってくるといっても、急にUターン者が増えたり、地元での就職率が極端に上がるというのはあまり現実的ではないと思うんですね。その中で、いま会社に出資してくれている40~50代の人たちとも共有しているのは、自分たちが中継ぎの世代となり、希望の光をつくっていくために投資をしていくという意識です。現状では、阿久根で新しいアクションが起こり、雇用が増えたというようなモデルケースがまだ少ないので、僕らの役割は、いまの阿久根にない業種をつくって雇用を生んだり、限られた資源の中で新しい商品を開発していくことなどを通して、お手本を示していくことだと思っています。

「まちの灯台阿久根」がリニューアルを手がけた道の駅では、若者の雇用を意識したドーナツ屋さんも。

 

Q. こうした活動では地域のさまざまな人たちを巻き込んでいくことが必要だと思いますが、そうした部分で意識していることがあれば教えてください。

石川:ソーシャルデザインなどの文脈では、「コミュニティ」というものがポジティブに語られることが多いですが、これまで仕事にしてきた経験から、町おこしという観点においてコミュニティというのはむしろマイナス要因になりやすいと感じています。地域のコミュニティというのは、一緒にいて心地良い「同一者集団」で形成されていることがほとんどで、地域の人たちは自分が所属しているコミュニティをセーフティネットにしています。それは当たり前と言えば当たり前のことなのですが、まちづくりという視点で見ると、こうしたコミュニティは閉鎖性を生みやすいとも言える。僕らのようなまちづくり会社は、世代、性別、信条などの違いを乗り越えて、普段であれば会わない人たちが重なり合う機会をデザインしないといけないと思っています。それを僕はコモンズデザインという言葉でとらえていますが、これを会社のメンバー全員に強いると心が壊れてしまう。だから、組織の中にひとりそういうことを担える人がいれば良いと考えています。

石川さんが発起人である「阿久根と鎌倉」プロジェクト。阿久根の高校生や先生、仲買人、行政職員などさまざまなメンバーが毎年鎌倉に短期滞在し、鮮魚販売や食堂営業を行うことで地域の中で連帯感が生まれている。

 

Q. これから自分たち「リポート」が活動をしていく上で、地域の仲間を巻き込んでいくことと同時に、活動資金をつくっていくことも大きな課題になっています。資金ゼロからのスタートなので、まずは稼がなければいけないという意識が働き、なかなかその先に進めないという状況なんです。

石川:スモールスタートで良いと思いますし、いまいるメンバーで先に繋がりそうなことをまずは始めていかないといけないですよね。そして、そのためには、自分たちの究極の目的とは何か? ということを改めてメンバーで議論した上で、それを実現するためのミッションとは何か? そのミッションを実行するためにはどんなプロジェクトをつくると良いのか? ということを洗い出した方が良いですよね。その中から、現状の人や資金、ネットワークなどを踏まえて、何から始めるのかということをメンバー全員で決めていくことが大切なのだと思います。自分自身、いまのまちづくり会社にしても、リノベーションの会社にしても、そのようにスタートしています。

 

Q. 実は一般社団法人と同じ「RE PORT」という名前のカフェを、僕の妻が主体となって運営していて、今年で4年目を迎えました。今後はこの場所もうまく活用しながら、俵ヶ浦半島というフィールドも視野に入れて、新しいことに取り組んでいきたいと考えています。

中尾さんが中心となって運営しているカフェ「RE PORT」。

 

石川:僕が京都でリノベーションの会社を経営していた時は、古ビルのリノベーションやコンサル事業でお金を稼ぎ、その資金でクリエイター支援という目的のもと、アートギャラリーの運営などをしていたんですね。事業で得た利益を、お金になりにくいものに投資するという企業としては少しおかしな構造だったのですが(笑)、リポートに関しても、市街地での飲食店やゲストハウス事業など稼ぎが出せる事業と、自分たちがやりたいこと、応援したいものに投資していくような事業を分けて考えるというのはアリなのかもしれないですね。特に資金的な準備がまだ整っていない現時点で、いきなり俵ヶ浦半島に拠点などをつくることはリスキーだと思うので、まずは市街地の事業でしっかり稼げるような形をつくっていけると良い気がします。

 

Q. 大半が市街化調整区域に指定されている俵ヶ浦半島は、新しい事業を起こしにくいという現状もあります。

石川:それだけ特徴が異なる2つのエリアが同じ市内にあるというのはある意味とても面白いことですよね。だからこそ、お金に対する考え方も完全に変えてしまい、僕の京都時代の会社ではないですが、営利/非営利を明確に分けてしまうくらいでもいいかもしれない。例えば、俵ヶ浦半島の生産者などを巻き込んで、特産品を販売したり、イベントを開催するような飲食店兼ゲストハウスのようなものを市街地に展開してお金を稼ぎながら、半島を応援するようなことができると面白そうですし、半島での取り組みについては、うまく助成金なども活用していくというのもひとつの手だと思います。

 

Q. 僕は市役所の職員として働きながら、一般社団法人の代表も務めていますが、石川さんももともとは地域おこし協力隊として阿久根に入り、役所で働かれていますよね。現在の行政との関係性はいかがですか?

石川:阿久根は人口2万人程度の小さな自治体ということもあって行政との距離感は近いですし、役場の若い職員などにはこちらから積極的に声をかけて色々巻き込もうとしていて、例えば、地域おこし協力隊の研修制度を活かした呼びかけやアテンドなどもしています。役場としても、若い職員のモチベーションを高めていくような仕組みづくりをしたいようなのですが、現状ではまだ上手くできていないので、自分としてもお手伝いをしていきたい。先ほどの同一者集団の話と同じで、役場には役場のコミュニティというものが出来上がっているからこそ、彼らが外の世界ともつながれるようなコーディネートをして、インプットの機会を増やしていくということは大切だと思っています。

石川さんは、映画撮影の誘致活動なども積極的に行っている。

 

Q. コモンズデザインという話もありましたが、民間から行政まであらゆるところに種をまき、関係性をつくっているのですね。

石川:京都の会社の時から僕は、質の高い偶然性を生むために、質の高い計画を練るということを徹底してきました。場づくりの仕事をしていると、ある時突然、自分たちが想定もしていなかったハッピーな出来事が連続的に起こることがあるんですね。そういう体験をしてきたからこそ、いまの仕事をやめられなくなってしまったところがあるんです。そして、そういうことが起こる背景には、徹底した仕込みと積み重ねというものが必ずあって、だからこそどんなに小さなプロジェクトでも妥協をせずに準備をした上で、まちに落とし込んでいくということを大切にしています。その積み重ねによってまちの空気が高まり、質の高い偶然が生まれてくると思っています。そういう意味で自分の仕事は、農業における土づくりに似ているところがあると感じていて、本当に良い野菜を収穫するためにリサーチを重ねたり、コミュニティを醸成したり、地域資源を探したりということを一つひとつ積み重ねていくことを常に意識しています。

石川さんは阿久根で様々なイベントを手掛けている。写真は保育園で開催したワークショップの様子。

 

Q. これまでは飲食店というものが軸になっていたこともあり、活動に巻き込んでいく対象として視界に入っていたのは、お客さんと同じエリアの事業者くらいだった気がします。でも、今日石川さんのお話を伺って、より広い視野で地域にいるプレイヤーたちを見出し、その隠れた課題を掘り下げて、一緒にその解決に取り組んでいくことが大切なのだと感じました。

石川:まちという舞台の上には目立つプレイヤーからそうではない人までがいて、それぞれの活動や関係を尊重しながら、役割を考えていくことが大事だと思うんです。これまで僕も、自分たちの強み、周りにいる人たちや地域の資源などをしっかり把握した上で、いまどんな役割が足りていないのかということを考え、行動するということを続けてきました。そういう意味でも先ほど話したように、リポートのメンバーで話し合ってそれぞれ夢を書き出し、そこに向けて何をしていくべきかを考えていくことが大切ですし、しっかりした計画と熱意さえあれば、人やお金も集まってくるのではないかと思います。

「一般社団法人REPORT SASEBO中尾大樹さんの阿久根(鹿児島県)訪問記」はこちら

 

プロフィール

インタビューされた人
石川秀和 「株式会社まちの灯台阿久根」代表

千葉県生まれ。京都の家具製作工房や不動産会社を経て2007年に建築デザイン事務所 「sahou design」、2008年に株式会社HLCを設立。
2015年に京都市から阿久根市へ地域おこし協力隊として移住。専門領域はリノベーション、コミュニティデザイン。協力隊任期中は「イワシビル」「阿久根と鎌倉」「PARK-PFI」など、地域資源を活用した地域おこし事業を企画。協力隊退任後、阿久根市観光連盟事務局長に就任。2019年4月に「お帰りなさいをつくる」をコンセプトに同観光連盟を民営化。自主財源運営と若者が働きたくなる雇用作りを目指し日々奮闘中。

インタビューした人
中尾大樹  佐世保市役所(企画部 文化振興課)主任主事/
      一般社団法人REPORT SASEBO代表理事
大学卒業後、Uターン入庁した市役所で出会った仲間と佐世保を再発見する自主研究活動「RE PORT」をスタート。イベント企画、運営等に携わった後、リアルな場づくりの必要性を感じ、2015年、妻と同名のカフェを立ち上げる。
その後も公私それぞれの立場を行き来しつつ、様々なまちづくり活動に参画。
2019年これまでの活動を統合、業種を越えた新たな仲間を迎え、一般社団法人REPORT SASEBOを設立し、ホテルや観光プログラム開発など目下新プロジェクトの準備中。夢は佐世保市内での海山街の3拠点居住。

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