俵ヶ浦半島の魅力発信!!|チーム俵

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November 12 2019

「チーム俵」トレイル部 部長/農家・山口昭正さんが、「新鹿果物」代表(三重県熊野市)・近藤久史さんに聞く、「持続可能な生業のつくり方」

佐世保市・俵ヶ浦半島で農家として働きながら、地元の若手メンバーによって結成された「チーム俵」でトレイル部の部長を務めるなど、地域活動にも積極的に参加してきた山口昭正さん。両親が営んできた農業を自らの生業に選び、さまざまな問題意識や悩みを抱えながら、新たな挑戦を始めようとしている山口さんが、三重県熊野市の新鹿町で果樹園(新鹿果物)を営む近藤久史さんのもとを訪ねました。地域おこし協力隊としてこの地に移り住み、現在はみかん農家の他にSUPインストラクターとしての顔も持ち、さらにゲストハウスの運営もスタートさせようとしている近藤さんに、同業者である山口さんが、持続可能な生業のつくり方や、地域活動へのスタンスなどについて話を聞きました。

Q.近藤さんは、地域おこし協力隊として新鹿町に来られたそうですが、なぜこの地域を選ばれたのかを教えてください。

近藤:海がそばにあったことと、実家からの距離が近かったというのが大きな理由です。もともと、オーストラリアや東南アジアなどにサーフィンをしに行くくらい海が好きで、以前に東京で働いていた頃も神奈川県の鵠沼海岸に住み、波乗りをしてから有楽町の職場に通っていました。だから、自分にとっては日常の中でサーフィンなどができる環境というのが何よりも大切だったんです。

インタビューは、近藤さんの果樹園を臨む場所で和やかに行われました。左から、近藤久史さん、山口昭正さん、山口郁さん、近藤明美さん。

 

Q. そうなんですね。私が住んでいる俵ヶ浦半島にも朝釣りをしてから、佐世保市内の造船所に勤めている人がいます。

近藤:当初は移住先として沖縄なども視野に入れていたんです。一方で、住まいが実家から近いというのは何かと便利なんですよね。ここに来る前は、妻の実家がある三重県の伊賀で農業をしていて、僕も同じ三重の津出身なのですが、いまも地元でイベントをしたりしていて、色々なつながりがあるんです。そういう意味では伊賀もとても良いところでしたし、有機農業も盛んな場所だったので色々な学びもありました。ただ、いかんせん近くに海がなくて(笑)。いま振り返ると、自分の人生の中で最も海から離れていた時期だったかもしれないですね。

近藤さんは、定期的に地元・津をはじめ、各地のイベントに出店している。

 

Q. 新鹿に移住をして、果樹園を営むようになるまでにはどんな経緯があったのですか?

近藤:当初はみかん農家になろうとは特に考えていませんでした。ただ、もともと農業をしていたので、新鹿で農家になるならこの地に適したものを育てたいという思いは漠然とあって、そのひとつとして柑橘類というのがあったんですね。もともとこの果樹園は、80歳を超える地元の農家さんのものだったのですが、最初にみかん畑をやってみないかと言われて連れてこられた時に、この景色にとても感動したんです。また、かつてこの辺りにも段々畑でみかんを育てていた農家さんがたくさんいたのですが、作業効率の悪さなどからどんどん辞めてしまい、いまではこの果樹園を残すだけでした。この素晴らしいみかん畑は未来に残す価値があると思ったし、その農家さんもとても良い方だったので、自分がここを引き継ごうと決心したんです。

近藤さんが感動したという、果樹園からの景色。

 

Q .うちは両親も農家なのですが、この畑を守っていきたいという思いは、私が農業をしている動機のひとつになっています。土地の歴史などを知れば知るほど、そう簡単にやめるわけにはいかなくなるんですよね。一方で、農業は自然災害などで作物が収穫できない時などもありますし、専業で取り組むのは非常に厳しい仕事でもあると感じています。そうした理想と現実のギャップを埋めて、収入的にもメンタル的にも安定させるために、農業以外の仕事も持っておきたいという思いがあり、遊漁船の営業を始めようかと考えているところです。近藤さんは新鹿に来て、農業の他にSUPのインストラクターなどもされているそうですが、農業とそれ以外の仕事のバランスはどのように考えているのですか?

近藤:仰るように農業という仕事はとても難しいところがあるし、ビジネスとして考えると効率は非常に悪いですよね。ただ、それらとは比べられない魅力もある仕事で、僕が農業を好きな理由のひとつは、周囲の人間関係などに左右されず、自然と向き合う中で自分の軸が持てるところなんです。やはり自分としては、みかん農家を軸に生きていきたいという思いが強く、この畑を残すためにSUPなどの仕事を通して現金をしっかり得ていこうと考えていますし、常に複数の財布が持てるように意識しています。今後その財布が増えすぎてしまったらどうなるんだろうという心配も若干ありますが(笑)。

近藤さんがSUPのフィールドにしている新鹿海水浴場。この日もSUPをする人がチラホラ。

 

Q. これからゲストハウスの運営もされるそうですね。

近藤:はい。そのために物件を購入したのですが、2階をゲストハウスとして通年で営業し、1階は夏季限定で飲食営業をしようと考えています。熊野に来てすぐに別の場所で民泊をしたことがあるのですが、ゲストハウスというのは極端な話、チェックインの時に「ハロー」と言ったら、あとはチェックアウトの時に「グッバイ」と言えば良くて、意外と手間がかからなないんです(笑)。これからは宿泊客をSUPにも誘導したいと思っているのですが、どちらもみかんをつくるよりははるかに効率が良いんですよね。非効率だけど自分が好きな農業を生業にしているからこそ、効率の良いビジネスを並行させることでバランスを取っていきたいと考えています。今後は収入的に農業よりも観光業が上回る可能性もあるかもしれませんが、自分の気持ちの軸は常に農業に置いておきたいと思っています。

近藤さんが購入し、現在改装中の物件。道を挟んだすぐ目の前に海水浴場が広がるという最高の立地。

Q. 巷では六次産業ということも言われていますが、サービス業との組み合わせはますます大切になってくると感じています。その時に、この新鹿町や私が暮らす俵ヶ浦半島というのは、勝負がしやすい環境にありますよね。実は、以前に農業と並行して福祉関連の事業をやっていた時期があったのですが、自分たちの見通しが甘かったこともあり、続けていくうちに心労ばかりが溜まってしまい、結局上手くいきませんでした。だからこそ今回は、自分の趣味でもあった釣りを仕事につなげられないかと考えたんです。

近藤:複数の仕事を持つ時には、そうしたモチベーションも大切ですよね。農業は魅力的な仕事ですが、リスクも大きいからこそ、何かをきっかけに簡単に嫌いになってしまう仕事でもあると思うんですね。実際に伊賀にいる時に有機農業推進協議会の事務局を担当したことがあり、そこで農家を辞めてしまった人たちの話もたくさん聞きました。だからこそ、農業を嫌いにならないように他の仕事でバランスを取ることが大事だと思うし、僕の場合はそれをもともと好きだった海でやっているんです。また、農業に関しても、各地のイベントに積極的に足を運んで直接お客さんとコミュニケーションを取ることがモチベーションになるし、日々の農作業についても、かつてサーフィンをしによく行っていたインドネシアの雰囲気を少しでも思い出すために、畑にバナナの木を植えてテンションを上げていたりするんです(笑)。

半島での農業の話をする山口さん。

Q. 農業以外の事業を並行していくためには、当然その分の時間をつくらないといけないわけですが、仕事をうまく回していくために工夫していることがあれば教えてください。

近藤:まずは先ほど少し話したように、あまり手間がかからない仕事を選んでいるという前提がありますが、もうひとつ僕の場合は、季節によって仕事を分けているところがあります。みかん農家の繁忙期は11月から4月までで、夏場の主な仕事は草刈りなどになるので、空き時間にコツコツやればなんとか対応できるんです。また、ゲストハウスに関しては、宿泊客を1組限定にするつもりです。というのも、例えば宿泊料金を均一で15,000円にしておくと、4、5人で使えばゲストハウスの相場程度の金額になりますし、逆に余裕がある人は1、2人でも貸し切りにしますよね。要は、確実に15,000円以上収入が得られるということがわかっていれば、こちらとしても農作業を中断して対応する価値があると。少しいやらしい考え方ですが(笑)、自分の行動の値段を決めるということですよね。安定した収入を得ることが副業の目的なので、その辺はシビアにやらないと難しいですよね。

Q. SUPの方はどのような形で運営しているのですか?

近藤:SUP体験は一人6,400円で、登録しているレジャー・アウトドア体験の予約サイトから申し込まれる方が多いです。このサイトには、ユーザーが日時を指定できる「予約制」と、サービス提供者にスケジュールの確認確認が必要になる「リクエスト制」があり、サイトの運営サイドには、なるべく即予約OKにしてほしいと言われるのですが、僕は農家をしているのでそちらの状況次第で対応できるかどうかを判断できるようにしています。また、普段から波の状態などを見られる場所で働いているということも大きくて、もしこれが畑から離れた場所まで行かないとサービスが提供できないという形だったら、負担的にもかなり厳しいだろうなと。

Q. 時間のやりくりが大きな課題だと思っていたので、とても勉強になります。今後遊漁船をやるとしたら、仕事をしない夜の時間帯に、夜釣り用に船を出すのが良いかなと考えています。もしかしたら、朝夜2便出すということも考えられるのかもしれないですが、その辺はある程度慣れてきてからかなと。

近藤:その方が良いと思います。僕も当初はSUPを1日3ラウンドやっていて、お客さんはたくさん来てくれるのですが、炎天下で3回同じ説明をして同じコースに出ると、さすがに草刈りをする体力が残らないので(笑)、いまは最大でも2ラウンドまでにしています。あと、仕事の他にも本を読んだり、映画を観たり、やりたいことはたくさんあるので、いかに時間を効率良く使えるかということは常に考えますね。例えば、農薬散布など時間がかかる作業がある時には、SUPの時間から逆算して朝4時くらいから作業を始めるなどしています。そういう日はさすがに午後にはフラフラですが(笑)。

新鹿海水浴場は波が穏やかなのでSUPには最適。

Q.私たちは、俵ヶ浦半島の地域おこしを目的にした「チーム俵」という若手のグループをつくって活動しているんですね。一方、半島には僕らよりも年上の方たちを中心とした町内会的な存在もあり、世代の異なるグループ同士がいかに良い関係性を築けるかということが大切だと感じています。近藤さんは、こうした地域との関係づくりという点では、どんなことを意識していますか?

近藤:僕は地域おこし協力隊として移住してきたので、当初は新鹿のことを知りたいという思いが強く、地域にかなり深く入っていきましたが、協力隊の任期を終えたいまは、適度な距離感というものを意識しています。僕も青年団などに入っているのですが、いまは地域活動よりも自分がやっていることをしっかり表現することを優先したいので、忙しい時は休みますと気兼ねなく言えるようなスタンスを取っています。何者かもよくわからない人間としてではなく、みかん農家やゲストハウスを運営している近藤久史として、地域の活動に関わっていきたいという思いがあるんです。まずは自分のバックグラウンドがあった上で、力になれそうな地域活動には関わりたいですが、完全なボランティアとして地域に関わるというのは継続性が生まれにくいですし、少し違うかなと思っているところがあります。

Q. 非常によくわかります。とはいえ、どんなに仕事が忙しくても、立場上出ていかないといけない地域の活動などもあり、その辺はなかなか悩ましいところです(笑)。私たちの地域でもボランティアで草刈りをしていたところがあったのですが、高齢化が進むにつれて参加できる人が少なくなり、継続が難しくなりました。そういう作業は行政にお願いするか、あるいは自分たち「チーム俵」の事業として受けていけないかと考えています。

近藤:僕はお神輿が好きで、移住してきた時に地域の人たちと深くつながるひとつのきっかけにもなったのですが、この辺りでも同じように高齢化が進み、最近は担ぎ手不足という課題があるんですね。それを解決するための自分なりのアイデアというのを実は持っているのですが、自分がもう少し新鹿で継続的に事業を営み、近隣の人たちから信頼が得られた段階で、改めて地域に対して提案ができるようになるといいなと思っています。

山口さんの奥さん、郁さんもインタビューに参加しました。

Q.地域の中での発言力を高めたいという思いがあるのですね。最後に、行政との関わり方に関して、何か意識していることがあれば聞かせてください。

近藤:最近は行政の方が相談に来てくれる機会も多く、もちろん協力できることはしたいのですが、一方で自分がやりたいこともあるのでお断りすることも少なくありません。仲が悪いわけではないのですが、いまは協力隊ではなく、個人事業主として動いていることもあって、自分がワクワクできないことや未来が見えないことには参加しないようにしています。もちろん、自分が住み続けていく地域にはより良くなってほしいのですが、最近は移住者を募るための成功事例として扱われるようなことも多く、それはちょっと違うかなと。僕は成功しているわけでも余裕があるわけでもなく、いままさに挑戦中なんです。これからの地域活性というのは、そこでしっかりとお金が循環し、新しい仕事が生まれるようなものにしていくべきだし、関わる人たち全員に意味があるような関係性を、地域と築いていきたいですね。

「半島農家・山口昭正さんの熊野(三重県)訪問記」はこちら

 

プロフィール

インタビューされた人
近藤久史さん 「新鹿果物」代表 / 三重県熊野市

三重県津市生まれ。オーストラリアに4年間留学し、“海のある暮らし”を経験したのち地元津市に戻る。有機農業の研修を受けながら、2012年から仲間と地元を盛り上げるため「久居げんき会」を結成。現在も続く「グリーンフェスティバル(久居まつり」」に実行委員長として携わる。津市は内陸で海がないため“海のある暮らし“を求め、2015年に熊野市へ移住。地域おこし協力隊時代に後継者がいない果樹園を引き継ぐ。「人と人、食卓と地域をツナゲル」をコンセプトに農業×観光業を営む。果樹園経営のほかに大好きな海を活用したSUP体験や集落案内といった「アウトドア体験サービス」も提供中。農産物を活用した海のみえるcafe&guesthouseの開設も進めている。
https://newdeer.jimdo.com/

インタビューした人
山口昭正さん 「チーム俵」部長、農家

長崎県佐世保市生まれ。大学卒業後、佐世保市のスポーツ用品店に就職、30歳で家業を継ぎ就農。俵ヶ浦半島は、昔から半農半漁で暮らしてきた地域で、海が凪ぎで潮の良い日には漁に出て磯で獲れるウニや天然牡蠣も家計を支えている。子供たちが「ここに帰ってきたい」と思えるような暮らしをどうやって作っていけばよいのか、半島だからこそ実現できる暮らしを模索中。資格を取得して遊漁船業にも挑戦する。

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