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March 27 2020

俵ヶ浦半島で培われてきたまちづくりの歴史

俵ヶ浦半島で培われてきたまちづくりの歴史。
一般社団法人チーム俵が中心となって取り組んでいる俵ヶ浦半島活性化プロジェクト。平成28年度に俵ヶ浦半島未来計画をつくってから、さまざまな課題を目の前に、地域の方々と一緒に試行錯誤しながら活動しています。

この俵ヶ浦半島のまちづくりはいまに始まったことではありません。俵ヶ浦半島未来計画づくりのきっかけにもなった俵ヶ浦半島トレイル、さらに前には半島地域を盛り上げようと始まったウォーキングイベント、そして半島キッチン ツッテホッテの前身である展海峰ふれあい工房の立ち上げ、地域の課題に関する行政への要望活動など、俵ヶ浦半島の町内会のみんなが俵ヶ浦半島開発協議会を組織し、一丸となって取り組んできました。

今回、俵ヶ浦半島開発協議会で長年会長を務められ、現在は一般社団法人チーム俵の代表理事でもある尾﨑嘉弘さんに、これまでの俵ヶ浦半島のまちづくりについて話を伺いました。

これまで長きに渡り俵ヶ浦半島のまちづくりを支えてきた尾﨑嘉弘さん。

 

■俵ヶ浦半島の生活環境の向上を目指して、俵ヶ浦半島開発協議会を立ち上げ。

今年76歳となる尾﨑さんは生まれも育ちも下船越町。昔の俵ヶ浦半島は今のように車が十分に通れる道路があるわけではなく、ほとんど農道と似たような状況だったそうです。下船越町にはかつて炭鉱があり、長屋も建ち並んで多くの人が住んでいたそうですが、閉山後は人口減少が続きます。他の3町も農業や漁業などの生業を中心とした集落で、その当時は半島一帯でまちづくりを、という雰囲気はまだなかったそうです。

きっかけは、野崎町に整備されることになった障害者福祉施設「長崎県立コロニー」です(コロニーは民営化によりつくも苑となり、その後閉所。現在、跡地は観光公園の整備が進む)。当時、半島には上水道は整備されておらず、井戸水を汲んで暮らしていました。生活に欠かせない道路や水道といった社会インフラが十分に整っていないなか、俵ヶ浦半島の町内会が集まり、昭和46年に「俵ヶ浦半島開発協議会」を結成。住民の意見を吸い上げ、行政に陳情・要望を行う活動が始まりました。そのような活動の成果もあり、県立コロニーの建設をきっかけに半島内にも上水道が整備されることになったのです。

現在も俵ヶ浦半島開発協議会は要望活動などを継続。チーム俵とも月に1回のネットワーク会議を行い、半島内の意見調整などを担っています。

俵ヶ浦半島開発協議会の4町内会長とチーム俵で情報共有を行うネットワーク会議を毎月開催。

 

■地域の活性化に向け、展海峰ふれあい工房がオープン。

半島のまちづくりを語る上で欠かせないのが「展海峰ふれあい工房」。半島キッチンツッテホッテの前身となる場所です。平成11年頃から、庵浦町では折り紙陶芸(粘土と和紙を積層にして出来た陶芸紙を、折り紙のように折って造形し、焼成する焼物)を作る活動が始まっていました。元々は庵浦町公民館が中心となり取り組まれていましたが、俵ヶ浦町にも適した粘土があり、地元の特産品のひとつとして売り出してはどうか、という機運が高まります。

俵ヶ浦半島開発協議会では、展海峰を管理する佐世保市と交渉、平成13年に展海峰の一角に「展海峰ふれあい工房」をオープンします。陶芸紙の製造や折り紙陶芸の作品の販売だけでなく、地域の生産者が野菜や漬物などを販売する店舗として運営を始めることになりました。そして、年に数回しか集まることがなかった協議会も、当時の会長を中心に、半島を盛り上げよう、と声をかけてふれあい工房に集まるようになったそうです。

俵ヶ浦開発協議会の皆さんの手で運営されていた「展海峰ふれあい工房」。

 

■地域の親睦会から始まったウォーキングイベントは、半島の魅力発信の場へ。

展海峰ふれあい工房は、各町内会の皆さんが交代で店番に立たれていましたが、十分な売り上げを確保するのは難しかったとのこと。そこで協議会では、展海峰の名物となっていた「菜の花」「コスモス」にちなんで、「展海峰菜の花ウォーク」と「展海峰コスモスウォーク」のイベントを開催。各町内会からおでんや焼きそば、押し寿司などのお店を出店し、その売上の一部をふれあい工房の運営資金に充てるようにしました。

平成14年に始まったウォーキングイベントですが、当初はあくまで半島4町内会の親睦会として開催したそうです。しかし、俵ヶ浦半島の美しい風景を味わえるウォーキングコースは人気で、次第に話題を呼び、佐世保市のフリーペーパー「ライフさせぼ」に紹介されたり、周辺の町内会にもチラシを配るなど、俵ヶ浦半島の名物イベントとして広がっていきました。

展海峰菜の花ウォークの開会式で挨拶される尾﨑さん(当時俵ヶ浦半島開発協議会会長)。

 

その後、つくも苑の移転問題が浮上。つくも苑に勤めている地域住民も多く、半島内の働き場所の喪失にも繋がってしまうため、協議会は現地建替に向けて幾度となく話し合いや要望活動を行ってきました。残念ながらそれは叶いませんでしたが、跡地には現在観光公園の整備が行われており、新たな賑わいの場として期待されます。

平成25年からは各町での俵ヶ浦半島トレイルづくり、平成28年は俵ヶ浦半島未来計画策定、そして若手メンバーが中心となったチーム俵の新しい取り組みへと繋がっていくことになります。

「トレイルの案内標識づくりや計画づくりのワークショップとか、ああいう話し合いはしたことなかったですし、みんなも楽しいと言いよったですね。ただ、計画を作るのは良くても実行はなかなか(難しい)。チーム俵の若手が頑張ってくれているので、成果が出るのが待ち遠しいですね。なにしろ(チーム俵の)部長たちにはもう少し頑張ってもらわんと。まぁ、いっぺんには何事もうまく行かんので、ボチボチ続けていくことが大事ですもんね。」
と尾﨑さん。

俵ヶ浦半島開発協議会が立ち上がって約50年、尾﨑さんが協議会の会長を務めたのはそのうち10年!チーム俵はやっと3年目を迎えます。課題はたくさんありますが、尾﨑さんが言うように、息の長い取り組みを目指して俵ヶ浦半島のまちづくりに取り組んでいきたいと思います!

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